【完】終わりのない明日を君の隣で見ていたい




 10年が経ち、旧校舎となっていた建物の階段を駆け上がる。

 10年前の屋上は、しっかり施錠されていて生徒が立ち入ることは禁止されていた。
 だけど先生になった特権で鍵を手に入れたのか、屋上はやはり空いていた。古びたドアノブを回してドアを開ければ、数メートル先に見える手すりに両肘を置き、こちらに背を向けて先生が立っていた。

 今のわたしは吃音症で地味子な梅子ではない。自分が自分でないと思うと、殻を破ったかのように勇気が持てて、心が自然と前のめりになる。先生にだって、緊張せずに話しかけることができる。

「先生」

 大きく息を吸い、そして新鮮なその呼び名を大切に呼ぶ。
 すると彼がこちらを振り返った。

「あーあ。ついに見つかったか」

 観念したように呟いた彼の手には、先が赤くなり細く白い煙をくゆらせる煙草が。

「見つけちゃいました」

 ……君のことだから。
 
 それにしても煙草なんていつから吸うようになっていたのだろう。真面目な彼の性格からして、煙草なんて縁のないものだと思っていた。

「校内禁煙なのに。先生って不良教師だったんですね」
「大人にはこういう息抜きが必要なんだよ」

 吐き出した白煙が、まだ明るい空に滲んでいく。先生の隣に並んで空を見上げれば、ぽっかりと白い月が浮かんでいた。

「転校初日、お疲れさん」

 不意に落ちてきた声に顔をあげれば、先生が少し腰を曲げ、視線の高さを合わせるようにしてわたしを見つめていた。

「疲れたか」
「いえ、とっても元気です」
「そうか」

 元気を象徴するように笑顔を返せば、目を凝らさなければわからないほどかすかに、先生の目元が緩んだ。
 そして尻ポケットから携帯灰皿を取り出すと、煙草の火を消し、先生が手すりに置いていた肘を離す。

「……もう行っちゃうんですか?」
「この後、職員会議」

 先生が、行ってしまう。突然やってきたささやかな時間の終わりに、寂しさを覚えて睫毛を伏せる。――と、先生が通り過ぎざまに、わたしの頭の上に触れてきた。

「口止め料」

 頭に手をやり、そこに置かれたものを手に取ると。

「ハッカ飴……?」
「気をつけて帰るんだぞ」

 ドアに向かって歩きながら、教師らしい口ぶりで言う先生。
 遠ざかる背中を見つめ、胸の前で小袋に包まれたハッカ飴を握りしめる。

 先生と生徒なんて、さらに距離が遠のいてしまった。1からのスタート、というよりもしかしたらマイナスからのスタートかもしれない。
 ……だけど、君に届きたい。
 いつか届くだろうか。あの日は届くことができなかった、君の心の内側に。
 生まれ変わってもやっぱりわたしは、君のことが好きなわたしのままだから。


 ──だからきっと、この巡り合いは運命なのだ。


「まずい、遅刻遅刻……」

 翌朝、軽く寝坊をしたわたしは、少女漫画さながらに焼きたてのトースターをくわえたまま慌ててマンションの扉を開ける。そして。

「行ってきまーす」
「行ってきます」

 自分の声と、よく聞き慣れた声が重なり、ドアを開けたままその声がした右へ視線を向ける。
 するとそこにいたのは──「先生……っ!?」
 眠そうにあくびをしながらドアを開けた先生が、さすがに驚いたのか口に手を当てたまま固まっている。

「森下……」

 永藤梅子改め、森下桃。
 生まれ変わってみたら、好きだった人は担任の先生で、しかもお隣さんでした。



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