暗闇の中で
世界はいつの間にか、硬質なガラスの向こう側へ閉じ込められてしまった。
車内で隣り合わせになった女の手元を見る。彼女が握りしめているのは、iPhone。その液晶は滑らかで、冷たく、どれほど強く指先で叩こうとも、決してひび割れることはない。傷つかないということは、裏を返せば、何も感じていないということだ。彼女たちの纏うその硬質な美学は、この殺伐とした世の中のあり方そのものに見えた。
かつて、僕の隣にいた女の手は、違った。もっと柔らかく、熱を帯び、Androidの繊細な回路のように、不完全で、だからこそ鼓動が伝わる手だった。
「どうしてそんなに画面ばかり見つめているんだ」
僕が思わず問いかけると、彼女——iPhoneを持つ女は、画面から視線を外さずに冷ややかに答えた。
「それが合理的だからよ。この画面の中には、肩を叩かれたような感触も、手を握られたような温もりもある。SNSの通知一つで、誰かと繋がっているという確信を持てる。それが今の私たちの『触れ合い』の形なの」
「それは偽物だ」と、僕は吐き捨てるように言った。「そんなものはただの電気信号の並びだ。かつての僕たちが分かち合っていたのは、もっと汚らわしい、それでいて生きた温度を持つものだった。Androidのように、エラーを出し、時に不格好で、それでも体温をそのまま肌に伝えるような……そんな直接的な繋がりが、僕には必要だったんだ」
「あなたの言う『温もり』は、もう古い時代遅れの回路よ」
彼女は初めて僕の方へ顔を向けたが、その瞳には何の感情も宿っていなかった。
「技術が至らないからこそ生身を求めたのでしょう? 今は違うわ。わざわざ汚い飛沫や唾をつけ合うようなリスクを負わなくても、私たちはこの洗練されたインターフェースの中で、完璧に愛し合える。傷つく必要も、傷つける必要もない。この滑らかなガラスの向こう側こそが、今の私たちの天国なの」
「それは天国じゃない。ただの静かな牢獄だ」
僕は自分の手を見つめる。かつて誰かの肌に触れた記憶をなぞるように、虚空を握りしめた。
硬く、冷たいiPhoneという現在の愛し方。
不器用で、熱を逃がさないAndroidという過去の愛し方。
彼女は再び画面へと視線を戻した。その顔に映る青白い光だけが、今の僕らをつなぐ唯一の交信手段だった。この合理的な拒絶の壁の前で、僕はAndroidのように、誰にも理解されないエラーを繰り返しながら、ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。
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