暗闇の中で
かつての電車の空気には、紛れもなく彼女の匂いが混じっていた。ふとした瞬間に指先が触れ合い、爪が食い込んだその小さな傷跡は、僕がこの世界に確かに「触れていた」という唯一の証明だった。今はどうだ。誰もが画面という防壁を纏い、他者の体温を汚らわしい飛沫として排除する。触れ合うという営みが禁忌となった世界で、僕たちが求めていたその温度は、いまや風俗店という名の「安全な密室」でしか買えない商品と化した。
秋生は窓の外の暗闇を眺めながら、歪んだ真実を噛み締めていた。
「人をシステムから零れ落とし、その死を利用して商売をする。今の世の中は、そういう仕組みで動いている」
彼は稲毛駅を見渡す。そこには「人身事故の名所」という看板を隠し持つような、異常な冷たさがあった。秋生は駅員に近づき、静かに、しかし冷酷な提案をした。
「いっそ、この駅を最大限に利用しましょう。自殺の名所なら、死を待つのではなく、死を演出して収益に変える。駅の近くに最先端の火葬場を建てるんです。ここで命を絶つ者たちの供養と処理を、稲毛市民の共有資産としてビジネスにする。そこで得た莫大な利益で、このホームに完璧なドアを設置するんだ。皮肉なものだと思いませんか? 誰かが死ぬことで、残された者たちの安全が買えるというわけだ」
駅員は、一瞬だけ恐怖に顔を歪めたが、次の瞬間には秋生の提案に魅了されたように頷いた。
「……確かに。それは極めて合理的だ。死は、これ以上ないほど確実な収益源になり得る」
駅員が浮かべたその薄ら寒い笑みに、秋生は確信した。結局、この世界は誰かの犠牲をシステムの一部として組み込むことでしか、機能を維持できないのだ。
「いいでしょう。人命を切り売りして、清潔な駅を作る。それが、この死にゆく街の唯一の救いなら、僕らは徹底的に死を売るべきだ」
電車がホームに滑り込む。ドアが開いても、そこには誰もいない。ただ、誰かの絶望を飲み込み、また新たな欲望のコストへと変換するための、巨大な装置が口を開けているだけだ。システムは効率化し、孤独は商品になり、僕たちの失った「体温」は、誰かの死体と共に火葬場の煙となって空へ消えていく。
秋生は冷たいホームに降り立ち、その先にあるはずの、死の匂いが染み付いた繁栄を思った。これが、僕たちが望んだ「合理的で清潔な世界」の正体だ。
秋生は窓の外の暗闇を眺めながら、歪んだ真実を噛み締めていた。
「人をシステムから零れ落とし、その死を利用して商売をする。今の世の中は、そういう仕組みで動いている」
彼は稲毛駅を見渡す。そこには「人身事故の名所」という看板を隠し持つような、異常な冷たさがあった。秋生は駅員に近づき、静かに、しかし冷酷な提案をした。
「いっそ、この駅を最大限に利用しましょう。自殺の名所なら、死を待つのではなく、死を演出して収益に変える。駅の近くに最先端の火葬場を建てるんです。ここで命を絶つ者たちの供養と処理を、稲毛市民の共有資産としてビジネスにする。そこで得た莫大な利益で、このホームに完璧なドアを設置するんだ。皮肉なものだと思いませんか? 誰かが死ぬことで、残された者たちの安全が買えるというわけだ」
駅員は、一瞬だけ恐怖に顔を歪めたが、次の瞬間には秋生の提案に魅了されたように頷いた。
「……確かに。それは極めて合理的だ。死は、これ以上ないほど確実な収益源になり得る」
駅員が浮かべたその薄ら寒い笑みに、秋生は確信した。結局、この世界は誰かの犠牲をシステムの一部として組み込むことでしか、機能を維持できないのだ。
「いいでしょう。人命を切り売りして、清潔な駅を作る。それが、この死にゆく街の唯一の救いなら、僕らは徹底的に死を売るべきだ」
電車がホームに滑り込む。ドアが開いても、そこには誰もいない。ただ、誰かの絶望を飲み込み、また新たな欲望のコストへと変換するための、巨大な装置が口を開けているだけだ。システムは効率化し、孤独は商品になり、僕たちの失った「体温」は、誰かの死体と共に火葬場の煙となって空へ消えていく。
秋生は冷たいホームに降り立ち、その先にあるはずの、死の匂いが染み付いた繁栄を思った。これが、僕たちが望んだ「合理的で清潔な世界」の正体だ。