となりに座らないで!~優しいバレンタイン~
 「ひ、広瀬社長。お、お世話になっております」

 多分、この挨拶でいいはずだ。


 広瀬グループ、社長の広瀬一也。私の勤める山ノ内建設など、比べるにもあたらない、大手企業だが、なぜか古くから、山ノ内建設との取引があるらしい。広瀬グループ社長は、半年ほど前、社長が会長になり、広瀬一也が新社長になった。
 
 しかし、広瀬社長はニコリとも笑わない冷酷社長と恐れられている。見た目は、ルックスも顔もモデル並みに整っており、始めはキャーキャーと騒いでいた女子社員も、今では怯えて、頭を下げるだけだ。

 いつも眼鏡をかけ、スーツをビシッと決めてた姿と、全く違うオーラに全然気づかなかったのだ。

 あーやばい、絶対怒られる。

 「広瀬社長とは気づかず、失礼致しました」

 もう、とにかく謝るしかない。

 すると、下げた頭の上をポンポンと暖かいものが被さった。それが、社長の手だとすぐには分からなかった。


 「飯、食いにいこう? 腹減ってるだろ?」

 社長の声は、優しいく頭の上に響いた。いつもとのギャップに言葉がすぐに出ないが、そもそも、まともに社長の声など聞いたこともない。

 「いいえ、めっそうもございません」

 この、断り方が正しいのか分からないが、もう一度、頭を下げると、逃げる準備にかかった。


 「知らない奴じゃないんだから、そんなに逃げなくてもいいだろ?」

 そう言うと社長は眼鏡を外し、ニコリと笑ってポケットにしまった。笑うんだー。
 あまりの整った笑顔に目が離せなくなりそうだったが、今がチャンスと走りだした。
 そして、停まっていたタクシーに乗り込んだ。

 セーフ!

 では、なかった。
 社長も、スマートにタクシーに乗り込んできた。

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