ラヴシークレットルーム Ⅱ お医者さんの彼との未来


「一緒に考えよう。ひとりで背負い込まずに。」


この騒動を聞きつけたのか
美咲の指導医である奥野さんが彼女の肩に触れながら声をかけた。


「このところ、忙しくてロクに話を聞いてあげられていなかったあたしがいけなかった。美咲の指導医なのに・・・」


確かにここ最近の奥野さんも忙しそうだった。
上野部長が周産期センター長兼務に昇格してから
部長が担っていた臨床業務の大半を請け負っていたから

それもあってか
美咲は俺のところに相談する機会が増えていた


「今回の件、丁寧に振り返って今後に活かせるように一緒に頑張ろ。」


相談しやすい環境にいる俺に依存し始めていた美咲が
欲しかった指導医からのその言葉で

「奥野せんせい・・・・」

俺の腕の中にいた美咲が、後ろを振り返り
すぐ傍にいた奥野さんの肩に額を寄せて
また泣き始めた。




患者の治療上のトラブルが生じた直後である今
美咲に本当に必要だったのは
俺なんかじゃなく
指導医であり相談相手でもある奥野さんだ


俺がスキという言葉
それはきっと
心の中が混乱している美咲が衝動的に発した言葉だったんだろう



「日詠クン、ありがと。患者さん、待ってるから先に行って。美咲のことは任せて。」



美咲に何をしてあげればいいのかわからないままだった俺に
奥野さんは美咲の頭を優しく撫でながら、俺のほうに小さく頷いてみせた。
その後、発声せずに口の動きだけで
”はやく追いかけろ”と促し、指で屋上出入口のほうを指差した。






俺は奥野さんの気遣いに甘えて、頷き返しをしてからすぐさま屋上出入口のほうへ向かって走り始めた。
この騒動を見て立ち去った伶菜を追いかけるために、階段も数段飛ばしながら駆け下りて。

整形外科病棟に繋がる医局の傍の廊下の角を曲がろうとした時。




「・・・・もうやめとけ、日詠さんのコト想うの・・・やめとけ。」


「・・・もう、日詠さんじゃなくて俺に」





聞こえてきた声。
いつもと異なる引き締まった低い声が聞こえてきて。
慌てて角を曲がったその先には




「俺にしておけ。」




そう言いながら、伶菜を抱きとめる男の姿があった。




見たことがない
今、抱きしめている人物が愛おしいという想いが伝わってくる彼の表情。

いつもは世の中を見下しているような彼が
こんなにも伶菜のことを真剣に想っているなんて
考えていなかった。


『・・・・・・・』


目の前のふたりをただ見つめるだけの俺。

伶菜の背後にいて、彼と向かい合う位置で立ち尽くしていた俺の存在に気がついた彼。

視線がぶつかった彼の瞳は
怒りが感じられる冷たさが感じられる。
なんでこんなことになるようなマネをしたのですかと言っているような、俺を諫めているような心の声までも


それらによって
”恋愛が先着順じゃない”
矢野先生が俺に向けたその言葉が自分の頭の中でリアルに蘇った。

この時の俺はもう前に進むことはできなくなっていた。





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