一億円の契約妻は冷徹御曹司の愛を知る

 いつもキャンバスに向かってばかりで背中しか覚えていないのに、帆布に塗りこめられる油絵の匂いが、ふと鼻先をかすめた気がした。

――母親は、子どもの笑顔を守るために笑うもんです。そういう想いを込めて、描いた絵ですから――

「子どもの笑顔を、守るために」

 どうしても思い出すことができなかった姿が、記憶に刻まれてすらいないと思っていた父の顔が、雅臣に重なる。

『泣くな』

 不器用に私を励ます男の子の背中が、唐突に頭の奥で弾けた。

 蝶を追いかけて迷い込んでしまった暗い獣道。その真ん中でうずくまって泣いていた私を見つけ、手を引いてくれた男の子。

 離れないようにしっかり繋いでいてくれた手の感触が、鮮明に思い出される。大きくてあたたかくて、私を安心させてくれたやさしい手――。

『泣くなよ。あの絵を見せてやるから』

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