負け犬の傷に、キス


メガネの女性の表情がぐにゃりと曲がる。


下唇を噛みしめた。

赤いリップの上に血がにじむ。




「返して……あたしの、返せえええ!!!」




怒り狂った女性はユキを押しのけ立ち上がった。

博くんのほうに迫っていく。



初めて女性が殺意を放ったというのに、博くんは微動だにしない。



博くんの前に、薫と柏が立ちふさがり。

俺はメガネの女性の行く手をふさぐ。




「先生っ! 辻先生……!!」




ユキが動くよりも早く、夕日ちゃんが女性にうしろからしがみついた。




「離して! 離してよ!!」


「辻先生が苦しんでるのはわかります!」


「わかってるなら……!」


「でもっ!」




細い腰に回した両腕をいっそうきつくした。




「辻先生のせいで苦しんでる人もいるんです!」


「っ!」


「それでも……たしかにわたしは辻先生に救われました」




夕日ちゃんから逃れようと暴れていた女性の体が、電池が切れたように鎮まった。


数秒の静寂。

心臓が締め付けられた。




「辻先生に必要だったのは本当に“薬”ですか? 違いますよね?」




返答はなかった。


赤い唇の端から本物の“赤”がこぼれていく。



夕日ちゃんは腕をほどいた。




「今なら背中を押せます。無責任だってかまいません」




とん、と女性の背中に両の手のひらを添えた。




「辻先生、どうか、頑張ってください」


「……っ」


「わたしも頑張るのは苦しかったです。でも乗り越えたら変われました。きっと辻先生も変われますよ」



< 298 / 325 >

この作品をシェア

pagetop