私立秀麗華美学園
列車内は土曜の夜にしては人が少なかった。まだ8時台だからだろうか。寮の門限が9時なので俺たちはこれでもギリギリだ。
1度だけ乗り換えをして、最寄りの駅に到着する。


「手袋もだけど、チョコレートもちゃんと食べてよ。賞味期限ギリギリでとかやめてよね」

「はーい」


同じ列車で帰ってきた生徒の影がいくつかあったが、ゆうかの歩調に合わせていたら俺たちが最後尾になっていた。
ゆっくりと、LEDの灯りが設置された道なりを進む。


「あっという間に学年末テストね」

「うん。ちゃんと勉強するよ」

「何? また笠井と勝負でもしてるわけ?」

「まさか。……今日話してた通りさ、俺ってなんの努力もしないで嘆いてばっかだったから。
ゆうかの隣に立って恥ずかしくないような人間にならなきゃって、最近ちょっとは思い始めてんだよ。
たぶんそんなレベルは無理だけど」

「最後の一言言わなくていいのよ」


ふふ、と楽しそうに笑う。だってゆうかの隣に立って恥ずかしくないレベル、は、無理だよ。たぶんどれだけ頑張ったって、ゆうかを見る時は見上げることになるんだから。

ゆうかが黙ったので俺も黙った
。今日のゆうかは全体的に冗舌だったな、と思う。
それをいつもとの違いと捉えてしまっているせいだろうか。もやっとしていて名伏しがたい、胸に渦巻く、不安の種みたいなもの。違和感というには曖昧すぎるーー


やがて寮の明かりが見えてきた。シンメトリーなホテルみたいな姿。右側にスペード寮、左側にハート寮があって、その真ん中に玄関とロビー、奥には食堂が続いている。
足元の照明がついた石畳の道に差し掛かったあたりで、ゆうかが言った。


「今日買ったシリーズ物の小説、本棚に入るかなあ。このぐらいあったっけ」


宅配で頼んだ本だ。両手を1m幅ぐらいに広げて見せる。


「そんなにあった? 1冊がこんぐらいで、10冊とかじゃなかったっけ」

「じゃあこのぐらい?」

「うーん、全部合わせた幅は、こんなもんだったような……」


肩幅ぐらいに手を広げたその時。
隣でくるりとゆうかが回った。


「え?」


気付けば、腕の中に、いつも追いかけていた姿があった。
髪が頬に触れる。異素材のコートが触れ合う感触。吐き出した息が白くなって、肩の上で溶けた。


「ゆ、ゆゆゆゆうか…………!?」


腕がまわされる。何重もの布越しの背中に、手が触れたような気がした途端、ぎゅうっと、抱き締められた。
抱き締められた。
抱き、締め、られ、た。


「……待たなくても、いいのよ」


ほんの一瞬の後、ゆうかはあっさりと俺を解放する。綺麗さっぱり解放する。俺の両手は宙に浮かんだままだった。


「え……? え? え……えっ? え?」


あほみたいに同じ一文字を連呼する俺を置き去りに、ゆうかは寮の方へ駆けて行った。扉を開ける前に振り返り、混乱の中に放り込まれた俺を確認するように、こちらを見る。


「じゃあね!」


笑顔で張り上げた声が告げたのは、そんな言葉だった。
ガラス戸を抜けて明かりの灯る寮内へ消えて行く。


綺麗な笑顔が告げた何気ない一言。
それが別れの言葉だったということに俺が気付くのは、随分後のことになる。

2日後の月曜日。
いつもの待ち合わせ場所に、朝、ゆうかの姿はなかった。














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