。・*・。。*・Cherry Blossom Ⅵ《シリーズ最新巻♪》・*・。。*・。
あのマネージャーはイチのことをダイヤの原石と例えた。磨けばとびきり美しいダイヤモンド。
けれど、それ以上に―――
キリの頬を伝う一粒の涙の方が
きれいだった。
ハリー・ウィンストンのダイヤよりももっと。
改めて―――
俺がしでかしたことの罪の深さを思い知った。
俺はキリの頬を伝う涙を親指でそっと拭った。そこで初めてキリがメガネを取り去り瞼にちょっと触れる。
「やだ……目にゴミが入ったみたい」
「朝霧」
俺はキリの名前を呼んだ。
マネージャーは自身の夫婦仲を惣菜に例えたが、もしかして俺たちの仲もそうだったかもしれない。キリのことが見えなくなったのではない、俺自身がキリを見なくなっていたのだ。
俺は一体―――キリの何を見ていたのだろうか。
キリは鼻を啜ると、涙を拭いながら前を向いた。
「ダイヤの他にもう一つ」呟いた声は鼻声だった。
「何だ?」
「一発、殴らせて?」
キリは俺から顏を逸らし前を向いたままそっけなく言う。
「いいよ」
俺は頷いた。キリが俺の方を向く。キリが手を振りあげる。
俺は目を閉じた。
俺はキリが平手打ちをしようと、グーで殴ってこようと甘んじて受け入れるつもりだ。
だがキリは
ぐいっと体が引っ張られ、キリが俺の襟を掴み引き寄せた。思わず目を開こうとすると、唇に柔らかい感触。
霧に包まれた車内の―――窓に浮かんだ二人の影はぴたりとくっついていた。
キリの口づけは数秒だった。キリは乱暴に俺の胸元を押しやり
「私、堪えてるみたい。思った以上に……バカみたい」
キリは無理やり笑い、笑ったのを皮切りに涙がどんどん溢れた。キリは慌てて口元を覆い
「ごめ……なさ…今日は帰って、途中で悪いけど」
悪く―――なんてない。
俺はシートベルトを外した。
言われるまま素直に車を降り、ドアを閉めようとした瞬間キリは涙に濡れた顔を上げ
「気を付けてね、あなた」
とわざと“新婚さんごっこ”の口調で無理やり笑い
「ああ」俺も何とか苦笑で応えた。
気が付いたら濃霧が少し和らいでいた。キリは、たいていたハザードランプを消し去り車はゆっくり前進した。
遠ざかっていく車に軽く手を振ると、白い霧の中再び短くランプが点滅して
赤いライトが「また明日ね」と言っているようだった。
バカな俺。
キリのことを一瞬でも疑ったこと。
一瞬でも裏切ったこと。
それはダイヤよりもうんと高い―――代償だ。
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