ボードウォークの恋人たち
大学から学会会場に向かう途中で忘れ物に気づき自宅マンションに戻るところ強引に沙乃が付いてきたのだ。しかし、マンションのエントランスで待たせていたはずだった。

ハルが忘れ物を回収して玄関ドアを開けるとするりと沙乃が中に入り込んだのだ。

「待て、ここに入るんじゃない」
「いいじゃないの。お手洗い貸してよ」
図々しく沙乃がヒールを脱いで上がり込み廊下を駆け出す。

「沙乃、いい加減にしろ」
力づくで沙乃を玄関へと連れ戻すと「オニイチャンのケチ」と悪びれる様子もない女に腹の底からイライラする。

「トイレなら1階の共用スペースにあるのを使えよ。ここには女は入れない」

そうハルが言うと沙乃が笑い出した。
「”ハル、学会発表頑張って。成功を祈ってる。水音”だって。かーわいいわねぇ、みーおちゃん。みおって二ノ宮家の娘でしょ。治臣の家族より大事な子」

コイツはあの短時間でダイニングテーブルに置かれた水音から俺へのメモを読んだらしい。
同居した時から何となく始まったハルと水音のメモのやり取り。
生活時間が合わず顔を合わせないときはこうしてひと言メモを置いておくことでコミュニケーションをとっていた。

「お前には関係ない。早く出てくれ」

出て行けと沙乃の背中を押すと、沙乃がケラケラと笑い出しハルの腕にしがみつき
「やだぁー、ハルったらぁ」と水音にしか許さない呼び方でバカにしたように沙乃が猫なで声を上げた。

「やめろ、その言い方」
怒りで頭がくらくらとしそうになり玄関ドアを大きく開き一歩出たところでーーーーハルの身体は硬直した。

目の前にハルの唯一絶対である水音が立っていた。

呆然としたハルの隙をつくように水音が玄関に飛び込み目の前で勢いよくドアを閉められる。ガチャガチャっと二重ロックがかけられ続いたガッタンっという音はドアガードの音だろう。
こちらからは入室できない状態になってしまった。

「水音!」
否定したくてもその機会を与えてもらえない。
そして学会発表の準備のため今のハルにはその時間もなかった。
慌ててかけた電話は既に電源が切られていてーーーどんだけ行動が早いんだ、とハルはため息をつくしかなかった。

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