ボードウォークの恋人たち

沙乃がしつこく「慰めてあげる」「治臣に必要なのは私」とくだらないことを言いだした。全て無視をしていたが、ふと気が付いた。
考えてみたら日本に帰ってきてからの沙乃の様子はおかしかった。

「・・・もしかして今までのミスはわざとだったのか?」

「だってあの子邪魔なんだもの。治臣の隣にいるのは私だけでいいじゃない」

「バカなことを言うな、必要ないのはお前だ。明日の発表が終わったら二度と関わらない。今日はもう帰れ」
はっきりと言うと沙乃に背を向けて会場に入った。
そんなハルの背中に沙乃は笑みを浮かべて見つめていた。


学会発表当日、諸川さんがハルの母を連れて会場のホテルに現れた。
沙乃とは朝、顔を合わせただけだ。

スーツの襟の歪みを直そうと手を伸ばした母の手を拒否する。
少し傷ついたような顔をしたものの「これ、つけてくれないかしら」と母は高級そうなポケットチーフを差し出してきた。

別れて暮らすようになってから何もしてやれなかったからと言われては流石に断りづらく渋々頷くと母は嬉しそうに胸のポケットにチーフを差し込んでくる。

「いろいろ済まないね」
諸川さんが母の隣で気まずげにしているのを見てハルは肩の荷が下りたような気がした。諸川さんもこれで気が済んだろうか。
もう彼の家族と関わりを持つことはない。

ーーー研究発表は大成功で終わり、会場にいた会員の医師たちから賞賛を浴びる。
やった。
画期的な内視鏡治療法だと口々にハルを褒め称える声に包まれる。

アメリカで臨床を学びながらの研究は容易いものではなかった。
何らかの成果を上げなければ二ノ宮の病院に堂々と入れない、水音の隣に立つことはできない。そのために努力したハルの6年間だった。


あっという間にマスコミに取り囲まれる。アメリカでどんな生活をしていたかと聞かれ臨床と研究をしていたと答えていた。
アメリカで休日何をしていたかと聞かれたらやはり臨床と研究をしていたと答え、留学中楽しかった場所や食べ物はとの問いには笑顔で首を横に振った。

6年間大学病院と大学の研究室とアパートメントの往復しかしていない。観光などとは無縁の生活だったのだから答えようもない。

アメリカの大学でお世話になった教授を先頭に学会会長など何人もの医学界の著名人ががハルに握手を求めてきた。その度にカメラのフラッシュが光る。

ハルは自分が誇らしかった。
笑顔で撮影に応じた。周りに誰がどんな格好で立っていたかなど気が付かず。
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