桜田課長の秘密
「手……離してください」

「君が良い返事をしてくれれば」

落ち着き払った口調だった。
けれど、彼の表情に切羽詰まったものを感じた。

「課長……なにを考えているんですか」

頭の中が、危険信号と疑問符で埋め尽くされる。

「……分かりました。まずは双方の利点を確認したうえで、交渉に入りましょう」

ふっと、手首が解放された。

「お茶、入れてきますね」

何事もなかったように立ち上がった彼は、飄々とした様子で部屋を出て行ってしまう。


とにかく、冷静になってみよう。

社員にもなれて、副業で月に20万貰えるなんて夢のような幸運だ。
一時の感情に流されて手放すには惜しい話だとも思う。

でも……だけど……

クルクルと思案を重ね、手首に残る指の跡が消えたころ。

「おまたせしました。冷たいのでいいですか」

藍色の琉球グラスが、目の前に置かれた。


「どうぞ、飲んでください」


連日の猛暑のせいで日が沈んでもまだ蒸し暑く、冷たいお茶がありがたい。

グラスの中身を半分まで飲んだところで、課長が切り出した。


「まずは、江本さんが聞きたいことに答えましょうか」

「そうですね、山ほどありますが――」

メガネのフレームを押し上げる仕草に、最初の疑問を口にした。
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