妖しな嫁入り
 でも私にはできない。それは私が人間だから。

「もういいの」

 異常だと囁かれる黒い刃。そこに映る瞳に迷いはなかった。
 瞬く間に部屋は闇に支配される。昼の明るさが嘘のように、一切の音が消えていた。

「ここは……」

 あの部屋だ。どこにも移動してはいない。私はまだ囚われているのだ。
 小さくて、広いのに狭くて、孤独な私の世界――

「私はここから踏み出す。自分の意志で」

 闇は私の足元から広がっているようだった。野菊が化けてくれた影よりもはるかに濃く、気を抜けば沈んでしまいそうだ。蠢き隙をみせれば引きずり込もうとする。

『お前は誰だ?』

 ずっと私の一部だったものだから? 懐かしさが込み上げる。けれど歩み寄ってはいけないと直感していた。正気を保っていなければ呑みこまれてしまう。

『お前は誰だ?』

「私は……」

 私は誰?
 そんなもの……

 とっくに知っているでしょう!

「私は椿、私の名は椿よ!」

 繋ぎ止めるのは朧の存在。その名が私を私でいさせてくれる。

「私の一部なら、言うことを聞け!」

 刀を突き立てた。
 こんなところで立ち止まっていられない。

「ここ……」

 もとの部屋だ。色も、明るさも戻っている。随分と長い時が経ったように感じたけれど、実際にそんなことはないのだろう。外の明るさは何も変わっていない。

「私も、何も変わらないのね」

 あれほど怖れていた妖という存在になった、のだと思う。
 何もかもが変わってしまうと思っていた。異形に身を落とした時、自分がどんな存在になるのか見当もつかなかった。
 けれどこうして目を開いても見えているものは何も変わっていない。朧を想う気持ちも私のままだ。
 足元には影が浮かんでいた。誰が化けたわけでもない。正真正銘、私の影。怯えることしか出来なかった闇(あいて)は大人しく従っていた。

 教わったわけでもないのに、力の使い方は初めから理解していた。
 渡り廊下の向こうには見張りがいて、扉から外に出れば見つかってしまう。
 別の道を……
 例えばそう、庭に生える樹は桜だろうか。幾重にも伸びた枝に太い幹が影を作り出していた。あの影を通り抜けるとか……
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