熱海温泉 つくも神様のお宿で花嫁修業いたします
 

(私はただ、夕食までにはまだ時間があるから、先に温泉をどうぞと勧めただけなのに……)


 あまりに理不尽な虎之丞の物言いに、心の中で反論をしたが、声に出すことは叶わない。


「ほ、本当に申し訳ありませんでした……っ」


 なんとか震える息を吐き出して謝罪の言葉を口にした花だが、このまま部屋を出ていって良いものかどうかもわからなかった。


(ど、どうしよう……。一体、どうすればいいの?)


 花の心臓はバクバクと大袈裟な音を立てて高鳴っている。

 また何か下手なことをして、虎之丞に揚げ足を取られるようなことがあってはいけない。


「……失礼いたします。虎之丞様、八雲でございます」


 と、そのとき、不意に部屋の扉の向こうから声がかけられた。

 ハッとして花が顔を上げると、虎之丞が「なんじゃ」と不機嫌そうに声の主へと返事を投げる。


「夕食のお支度が整うまでまだ時間がございますので、将棋の手合わせを願いたくやって参りました」


 扉の向こうにいる八雲はそう言うと、虎之丞の返事を待った。

 ふたりの間に挟まれている花は内心ヒヤヒヤしながらも、タイミングよく現れた八雲に心底救われた思いがした。


「ふむ……将棋か。まぁいいだろう、入ってこい」

「ありがとうございます」


 虎之丞の返事を聞いて部屋に入ってきた八雲の手には、木目の美しい将棋盤と駒箱が持たれていた。

 咄嗟に道を開けた花が手に汗握って八雲の顔を見つめると、八雲は花を一瞥したのち虎之丞へと視線を戻した。


「ふんっ、またわしに負かされに来るとは、お主も懲りないやつよのぅ」

「どうかお手柔らかにお願いいたします」 


 まつ毛を伏せた八雲の均整のとれた横顔は、緊迫した状況でも溜め息の出そうなほど端正で、美しかった。

 そして静かに歩き出した八雲はすれ違いざま、「下がれ」と花に命令をする。

 
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