俺と、甘いキスを。

『だって、蒼士はあの鳳一族の人間でしょ?蒼士を可愛がるお爺様にお願いすれば、五千万なんてすぐに用立ててくれるわよ』

周りに嵐を起こしても、自分の欲しいものを手に入れる。椿マリエとはこういう女だ。
確かに祖父の鳳菊之介に事情を話して頭を下げれば、お金を用意するかもしれない。
しかし、これは自分の撒いた種だ。花を巻き込んだ以上、兄弟以外に関わらせるつもりはない。

『蒼士、聞いてる?うちも社運がかかっているのよ。スポンサー、受けてくれるのよね?』

──スポンサーを受ける。これは離婚を意味していることを理解しているのか?

マリエは既に俺よりも、俺との結婚生活よりも、彼女自身の今の生活を愛しているんだ、と確信した。

離婚前提で話を進めるなら、その方がやりやすい。
「マリエ、答えを出す前に聞いておきたいことがある。というか、思い出したいことがある」
『何を思い出すの?』
「あの時、お前を抱いたホテルの名前」
スマホの向こうから「ええっ」と、驚く声が上がった。それがすぐに笑い声に変わる。
『もうっ、何を言ってるのよ。六年も前のことなのよ?えっと、あの時は駅前の「風鈴」で蒼士が酔っ払って、それで駅を抜けた反対側のホテル……「ハート・ステーション」よ』

「……」
思いっきりのラブホのネーミングに、俺は絶句した。
いかんいかん、と我に返る。
「そのハート・ステーションで、俺はお前を抱いて妊娠させた」
『……』
今度はマリエの方が黙り込む。
「マリエ、聞こえているか」
『……聞こえてるわよ』
「俺はそのホテルで、お前を、マリエを妊娠させたんだな?」
同じ質問をする。
『……そうよ』
この後の質問は声こそ不機嫌だったが、マリエは渋々応じていた。

俺の確認したい質問は終わった。耳からスマホを離して、静かに長く息を吐いた。そして、
「わかった。離婚のスポンサーのことは、お前の帰ってくる土曜日にちゃんと話す。土曜日の飛行機のチケットは予約できたか?こっちに十時着の便だ」
『ええ、用意したわ』
その返事に、俺は頷く。
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