俺と、甘いキスを。

ぺったりとくっつく彼女に、右京蒼士はそっと彼女の腰に触れて僅かな距離を作る。
「今は大事なデータの記録を見てるから無理だ。明日なら時間を作るから、その時に話そう」
愛しい人を見る目で話す妻に対して、どこまでも冷静な態度の夫。
妻の椿マリエは「えーっ」と、不満な声をあげる。
「明日はムリよ。三ヶ月後に開くイベントで会場の下見をすることになってるの。その後顔合わせを兼ねた打ち合わせをして、食事会の予約もしてあるのよ。明後日の夕方の便でミラノに戻らなきゃいけないの。今日しか時間がないの」

まるで次から次へと押し寄せる波のように、早口で言葉を吐き出す彼女を、右京蒼士は表情を変えずに聞いていた。
「それなら明後日、日本を出発する前に会おう」
「あら、それはダメよ。女性の旅支度は時間がかかって大変なのよっ」
すぐに言い返す椿マリエに、彼は目を細めた。

「なるほど。今回の帰国は一人じゃないから、家に帰らずにホテルに泊まっているのか」

意味深なセリフに、妻の目が泳ぐ。
「へ、変なこと言わないでよ。会場の下見に、こっちも助手を二人連れているのよ?私だけ自宅に帰れないわ。例え四日間だけでも、すごい荷物なんだから」
「そうか。なら、屈強な助手が必要だな」
「なっ…」
サラリと反撃する右京蒼士に、椿マリエは顔を赤らめて動揺しているようだ。
そんな彼女から、右京蒼士は更に距離を置く。

「とにかく、もうすぐ昼休みになる。せっかくだから外に食べに行こう。車の鍵を取ってくるから、待っててくれ」


──仕方がない。コピー用紙は午後にでも用意しておこう。

右京蒼士が本館を出たので、私も自分の席に戻ろうとした。
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