俺と、甘いキスを。


「ねぇ、あなた。もしかして、アタシと蒼士を会わせないつもりだったの?」

そんな声が聞こえたので、気になってチラッと振り返ってしまった。
椿マリエが大きな瞳で峰岸真里奈を睨んでいる。いつの間にか主任も事務所の中に戻っていて、二人を仲裁する者はいない。
「私は会社のルールに従っているだけです」
と、真里奈は受け流すように返事をして業務を行っている。
しかしカウンターの向こうにいる椿マリエは口角を上げた。

「アタシ、この会社の社員じゃないけど、親切にいろいろ教えてくれる人がいるのよ。「右京蒼士の愛人になりたい、と言いふらしている受付嬢がいる」って。それ、あなたでしょ?アタシが近くにいないことで、あなたが蒼士の身の回りの世話をしてるんですって?面白すぎて笑えたわ」

ゴールドリングの光る左手を赤い唇に当ててクスクス笑う椿マリエを前に、今度は真里奈が椿マリエを睨み返した。
「でも残念。彼は一生あなたに振り向くことはないわ。せいぜい家政婦扱いくらいよ。だって、あなたは蒼士のタイプじゃないもの」

彼女にこのような毒を吐かれ、真里奈は顔を赤くして両目を大きく開く。
「お言葉を返すようですが、奥様も名ばかりの奥様で、海外生活が長すぎて右京さんのことを忘れていたんじゃありません?そのままずっと忘れていらっしゃってもよかったのに」
「なんですって?家政婦風情が夫婦のことに口出ししないでちょうだい」

どちらも負けず嫌いなせいか、睨み合う中央で火花がバチバチと音を立てているのが見えた。

右京蒼士が言っていたことを思い出す。

『そういえば、俺、既婚者だった』

久しぶりの妻との再会のはずなのに、彼の冷静な態度がひっかかっていた。
──二人は愛し合って結婚したんじゃないの?

やはり、右京蒼士という男は、私にはわからない。
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