デアウベクシテ
第1話~結衣
彩華(あやか)ー!聞いてよー!」
「今日は何?またセクハラ上司のこと?」

 金曜。夜。チェーン店の居酒屋。毎週金曜は仲間で飲んでいる。場所はいつも同じ、いつもここ。その日は彼女、結衣(ゆい)とだけだった。

「また社内恋愛が見付かったの!仕事やりづらくなるからほんと迷惑!」
「また?多いね、結衣の職場。」
「いいよなぁ、彩華は。美人だから男に不自由しないでしょ。」
「そんなことないよ。」

 彼女とは一番仲が良い。一番歴史が長い。私はさっぱりとした性格で、そんな素の自分を結衣には出していると思う。何でも話せて何でも話してくれた。

 友人知人はそこそこいる。男も女も。そこそこ仲が良い。そこそこな生活、そこそこな人生。

「今日もありがとう!じゃあね!」

 結衣と笑って別れた。変わらない、いつもの笑顔の結衣。その後、私は終電に乗る。自分の帰る路線とは違う路線。向かうは2駅先。それも決まった居酒屋。今日は先に待っていた。

「お疲れ。」
「お疲れ様です。」

 私は仕事用の挨拶をする。相手は妻子持ちの部長。不倫をしていて、そんな関係ももう1年経つ。もちろんお互い割り切っている。

 朝になった。いつものように部長は駅で、私に笑顔でキスをする。優しい笑顔。私は少し口角を上げる。そして部長に見送られながら私は帰る。ひとりマンションに着いて、そこに虚しい気持ちや寂しい思いなどない。

 そこそこ満足した生活。だった。

 週が明けた。珍しい友人から電話があった。

(この子と最後に会ったのいつだっけ?)

 そう思いながら電話に出た。出なければよかったのか、出てよかったのか。

 結衣が死んだ。

 しかも私と会った次の日に自殺をしたとのこと。悪い知らせの電話だった。とりあえず、その子と他何人かでお通夜に行く約束をした。

 迎えたお通夜。沢山の人がいた。沢山の人が泣いていた。お線香のにおい、お経と人のすすり泣く声。私は涙が出なかった。きっと結衣の死を、まだ受け入れてなかったんだと思う。実感がない。泣かない私を見て、冷めた人だと思う人もいたかもしれない。そんなことはどうでもいい私。

 結衣との最後の別れの時。私は言葉が出なかった。何を言ったらいいのか、結衣がどんな言葉を求めているのか、私はわからなかった。ただ結衣を見つめる。自殺とは思えない、穏やかな顔。私は結衣の頬に触れた。結衣に初めて触れた。これこそ、最初で最後。結衣の頬は氷のように冷たかったのを、手がはっきり覚えてしまった。

「彩華、呼んでるよ。」

 友人が私に声を掛けてきた。私を呼んでいたのは、結衣のお母さんだった。泣きはらした顔、憔悴した姿。泣きながら私に話し掛けてきた。小さく震えた声で。

「これ…あの子からです…。」

 私は結衣のお母さんの手元を見る。手紙を渡された。それを私はゆっくり受け取った。

「ありがとうございます。」

 結衣から。何が書いてあるんだろう。マンションに帰ってからひとり部屋で読むのは嫌。そう思った私はその場で封を明けた。

『ありがとう』

 それだけだった。私はしばらく立ち尽くす。

 それからというもの。私の生活も性格も変わらなかった。しかし結衣はない。結衣はもういない。

 考え事などしない私が、何かを考えていることに気付く。結衣のことだ。

(なんで?どうして?何があったの?どうして何も言ってくれなかったの?最後に会った時、何も変わったところなんてなかったのに。帰る時も、いつもと同じように笑ってたのに。)

 ある金曜の夜。ベッドにて。天井を見てぼーっとしている私に気付く部長。

「どうしたの?考え事?珍しいね。」

 私は部長を見た後、また天井を見てゆっくり言った。

「親友が自殺したの。」
「自殺?」
「そう。私と会った次の日に。原因はわからないって。」
「へぇ…だから考え事か。」

 所詮、この人にとっては他人事。何を言われようが、どうでもよかった。でも話を進めてきた。

「言えないことが、何かあったんだろうね。君にも言えないことが。」

 それを聞いて私はつい口走ってしまった。小さくボソッと。

「どうして私に話してくれなかったの…。」
「君もそんな顔するんだね。」
「え?」
「悲しい顔だよ。」
「私だって悲しい顔くらい、普通にするし。」
「君にも情があるんだね。そんな君も、可愛い…。」

 そのまま私は部長に全てを塞がれる。その間、私はまた考え事をしていた。

(私には、情がないの?)
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