強引な副社長の婚前指南~偽りの極甘同居が始まります~
「もうすぐ到着しますよ」
タクシーの運転手さんに告げられて、背筋をぴしっと伸ばす。緊張からか、深呼吸する数も増えだした。
「おい、芳奈。今からそんなに緊張して、大丈夫か?」
八雲さんは苦笑しながらそう言って、私の頭を撫でた。交渉なんて八雲さんには朝飯前かもしれないけれど、私にとってはまだ人生二回目のことで。それが尊敬している煌月さんなら、緊張しないほうがおかしいというもので。
「今日は挨拶程度なんだろう? 交渉の本番は明日なんだし、もう少し肩の力を抜いたらどう?」
「そうですけど。仕事とは言え、やっぱり憧れの煌月さんにお会いするのは緊張します。それにできれば、今日話しをしたいなと」
「気合が入る気持ちはわからないこともないが、あまり先走りすぎるな。相手のことも考えて……」
「そんなこと八雲さんに言われなくてもわかってます。もう放っといてください」
そう言い放ち、八雲さんに背中を向ける。すぐに言い過ぎたと気づいたけれど、今更なかったことにはできないし、笑顔で振り返ることもできない。
「ありがとうございました」
突然聞こえた運転手の声に、ハッとして前を向く。今日の目的地の、赤い屋根が見えている。手にしていた資料を慌ててバッグにしまい肩に掛けると、ふぅ~と息を吐いて気持ちを切り替えた。