好きって言えたらいいのに

5


 それから間もなく、ヘイちゃんは家を出て、事務所が用意したというマンションに移った。
 朝の支度を終えて朝食を取り、「行ってきます」と告げて軒先に出ても、もう向かいの魚富さんにヘイちゃんは姿はなくなってしまった。
 最後まで気持ちを伝えさせてはくれなかった。それはヘイちゃんの優しさなのか、ズルさなのか。何も考えたくなくて、私は頭を振った。

 私の部屋からヘイちゃんのポスターが消えた。海から帰った日、泣きはらした顔をした私に何も言わなかった家族は、その小さな変化にも触れずにいてくれた。

 『F-watch』のCDデビューが正式発表されて、メディア露出が増え、リーダーであるヘイちゃんの知名度も一気に上がった。
「ねえねえ、昨日のテレビ観た?『F-watch』のデビュー曲、すごくかっこいいよね!」
「幹君が入るなんてビックリしたけど、なんかあのメンバー間のかけ合い最高じゃない?」
 街中で、学校で、教室で、『F-watch』の話を耳にする機会も増えた。
 デビュー曲はフォーメーションダンスが魅力的な激しいダンスナンバーだった。
 動画サイトで発表されたそれを再生するたびに、ヘイちゃんの楽しそうな、それでいて真剣な表情ばかりが目について、自分に苦笑してしまった。

「平志さん、すごい人だったんだね。」
 夏葉が駅前に貼られた『F-watch』の全面広告を見ながら言った。
「うん。がんばっているんだね。」
 私はその広告を見ながら、ちょっと無理をして小さく微笑んだ。

 私を気遣ってか、夏葉も正太郎もそれ以上何も言わないでいてくれた。

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