桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

高天原への憧れ

 地平の果てまで見渡す限り、岩、岩、岩。

 その中心で、あたりを見回す二体の神がいた。

 一体は、禿げた頭の側面から二本の角を生やす海神・海玉(ウミダマ)

 筋肉だけで出来ているかのような巨体に、濃い青色の装束を羽織っている。

「この地の名は?」

 海玉に聞かれ、横にいたもう一体の女性神は首を横に振る。

 艶やかで真っ直ぐな黒髪を揺らし、深い海のように揺蕩う青い瞳を持つ。

 紺色の着物に白い帯を付けている、背が少し小さめな美女だ。

「まだ決まっていないのじゃ」

「あの……ここは、人間世界のはずでは?」

 人間どころか、あたりに草木は無く、生き物がどこにも見当たらない。

 後に『岩時』と呼ばれるこの地の、はじまりの姿だった。

「これから人間世界になるはずの場所、じゃ。要するにこの地だけ、初期化させたのじゃよ。やっとうまく行ったわい。()を干渉させない空間を、作り上げられた。ここは螺旋城(ゼルシェイ)とも無関係じゃからの」

「あれ? じゃあ時間は? 時間が無いと人間って、生きていられないのでは?」

「ここには螺旋城の『魂の花』の力は届かない。なのに生き物が楽しい時間と共に、次々と生まれるであろう。暖かな力が続々と、沸き上がっておる。つまり魂の花の力が既に、この世界に根付いたという事実を、この岩時の地によって証明出来たというわけじゃ! 海玉よ」

「はい」

「いつワシが反転してしまうかわからぬ。おぬしにあの子を託したい」

 海玉は首をかしげる。


 あの子?


 って誰?


 ドォーン!


「……この音は?」


 ドドォーン!


「フツヌシじゃ。あやつめがまた、叫んでおる……」

 いつもは静寂に包まれているこの場所では、時々、奇妙な現象が起こる。

 ある少年が叫ぶ時だけ、岩という岩が真っ赤に染まり、熱湯が噴き出すのだ。

「つまらないよー!!!」

 ドォーン!

「つまらないー!!!!」

 ドドー-ン!!

「どこか連れて行ってー--!!!」

 ドドドーン!!!

 グラグラ、グツグツ!

 ボコボコ、ボコボコッ!

「……相変わらず、落ち着かん奴じゃのう」

「筒女神様。あの子は一体……」

「ワシの息子。岩の神じゃ」

「岩の神? 一体いつ、お子を宿しておられたのですか?」

「恥ずかしいことにな、自由になれぬワシの悔し涙が、あの子を作りあげたのじゃ」

「悔し涙……」

 筒女神(クスコ)は言う。

 悔し涙がこの地に沈むとな。

 地下から熱いマグマが噴き出すのじゃ。

 声を轟かせるのじゃ。

 絶対に許さない!

 必ず殺してやる!

 奪えるだけ奪ってやる!

 犯せるだけ犯してやる!

 我こそが正義だー!!

 と。

 ドドドーン!!!

 グラグラ、グツグツ!

 ボコボコ、ボコボコッ!


「フツヌシ!」


「はいっ!」


 フツヌシは、母の到来が突然だったので驚き、ぴたっと動きを止めた。


 シューッ……という音とともに、あたりが静まり返る。

 だがフツヌシがちょっとでも動くと、また熱湯が噴出してくる。

 海玉は、いくら熱湯を浴びようがビクともしない自分の体に、感謝した。

 クスコは、フツヌシに向かってこう言った。

「このお方は海玉(ウミダマ)様じゃ。おぬし、これからはこの方を師匠と呼び、いろいろ教えてもらうのじゃ、良いな」

「はいっ! ウミダマ様、よろしくお願いいたします!」

 フツヌシはぺこりと頭を下げる。

 素直そうな、いい子ではないか。

 海玉は、行儀のいい挨拶ができたフツヌシに感心した。

 ボコボコッ!

「母様の言うことはよく聞くのだな、フツヌシよ」

 ドウッ!!

「はい。だって母様、おっかないですから」

 フツヌシが声を発するたび、地面から勢いよく、熱湯が噴射されてしまう。

「母様には及ばないが、私もかなりおっかないぞ。よろしくな、フツヌシ」

「母様よりおっかなくないなら、怖くもなんともありません」
「フツヌシ!」

「は、はいっ!」

「これからは海玉様の言うことを、よく聞くのじゃ」

「はいっ!」

 クスコは真剣な表情になり、海玉を見た。

「海玉よ。頼みがある。もしワシが次に反転するようなことがあれば、フツヌシの存在を、深名斗や闇の神から隠して欲しいのじゃ」

「反転……?」

「この前、見たじゃろ。おぬしの目の前でワシが、一瞬だけ反転したことを」

「覚えていません」

 海玉は、嘘をついているようには見えない。

「また闇の神に記憶を操作されたか。それとも……深名斗か。奴らの十八番じゃ。天界におる深名斗とワシは、自分たちの意志に関わらず、急に反転することがある」

「……そうでしたか」

 クスコが腕を上げ、びゅっと縦に掌を下すと、ぴたりと地面の熱が下がった。

「フツヌシよ。おぬし、まずは揺光(アルカイド)を海玉に教えてもらわねばならぬのう。力を制御することは無理のようじゃからな」

 クスコが咎めながら近づくと、フツヌシはぷうっと口を膨らませた。

「力を制御するなんて、つまんない!」

 フツヌシが「つまんない!」を言うたびに、熱湯が噴き出す。

「一体全体、何がつまらないのじゃ」

「ここにはなーんにも、無いんだもん!」

「ほっほっほ! つまらない場所なら、自分で楽しくするものじゃ」

「どうやって?」

「こうやるのじゃ!」

 クスコは両腕を広げ、高らかに掲げた。

 すると、岩と岩の間に、青々とした植物が勢いよく生えてくる。

 小さな虫や鳥、生き物たちが次々と生まれ、見違えるような場所に早変わりする。

「わあ……すごい!」

 フツヌシは感動し、笑い声を上げた。

 生き物たちは好意的な様子で、フツヌシに近づいてくる。

「おぬしが楽しそうにしているとな、たくさんの仲間が寄ってくるのじゃあ」

 ここの時間は?

 どうなっている?

 海玉が疑問に思っていると、そこに一体の女性神が現れた。

 黄金の鳳凰である。

 透き通るような銀色の髪に、切れ長の瞳。

 真っ白な肌に、引き締まった唇。

 なめらかな細い体には、白に銀の細工が施された美しい装束を身に着けている。

「時の神・礼環(レーデ)、と申します」

 礼環と名乗ったその女性は、海玉に神秘的な微笑みを向けた。

 ずきゅーん!

 海玉はどぎまぎし、一瞬で恋に落ちた。

 長年いい人に巡り合えず、花嫁を募集していた彼は、見苦しいほど鼻の下を伸ばし、デレデレしている。

「あ、あ、あの! わた、わた、わたくしはっ! う、ううう海玉、と申します!」

 礼環もまんざらでは無い様子で、海玉ににこにこと笑いかけている。

「海玉よ、ワシは礼環に協力してもらい、このまっさらな地を作り上げた。もう、いつでもこの地を、子供たちに託してワシは旅立てる。海玉よ、お願いじゃ。礼環とともに、この地を、フツヌシを、守ってくれ!」

「わかりましたっ!」

「母様、僕も天界へ行きたい! 一緒に連れて行って! 母様はずっと天界に住んでいて、この世界を作ったのは母様なんでしょ?」

「そうじゃが、何度も言うておるじゃろ。ワシャこの世界に、閉じ込められておる。じゃから天界へは、自由に戻れぬのじゃ」

「でも、今、ウミダマ様に僕の事守ってくれって、言ってたじゃないか! いつでも旅立てるって!」

 小さなフツヌシは、自分が生まれる前に起こったクスコの『反転』を知らない。

 だから事情が呑み込めない。

「自分の意志で旅立てるわけではないのじゃ。ワシに完全な自由など無い。あやつと反転してしまうからじゃ!」

 最後は苦々しく、クスコはフツヌシに言い放つ。

「あやつ? 意味がわからないよ!」

「ワシの半身じゃ! 元は一体だったのに、引き離されたのじゃ!」

「……え?」

「そもそもおぬし、天界なぞへ行って、どうするつもりじゃ?!」

「決まってる! 見たいんだよ! 母様がいた高天原を! そこには世界最高峰の、力のある神々が集結して、全世界を統括し、見事に束ねているんでしょう?! 僕はそこへ行って、見て、聞いて、自分の力を発揮してみたいんだ!」

 クスコは母親として、愛する小さなフツヌシがとても心配だった。

 心配だったなら「心配だ」と伝えれば、それで良かったはずなのに。

 この時はフツヌシの態度に苛立ち、つい余計な一言を放ってしまった。

「おぬしの力が高天原で発揮されることなど、断じて無い。おぬしは! この地にいてこそ、一番に輝けるのじゃ!!!」



 母の言葉の理不尽さに、フツヌシはキレた。



「母様なんか大嫌いだ! どこへでも行ってしまえ!」





 大人になったフツヌシは、その記憶を甦らせた。


 自分が殺そうとしていたクスコ────


 あの老婆こそが、自分の母親だったのである。


 大事な存在だったのに、当時のフツヌシはひどい言葉を放ってしまった。


 とても悲しそうな表情を母が浮かべたのを今、思い出す。


 その瞬間、おかしな現象が起こったはず。


 母がいた場所に、漆黒の髪をした青年が現れ、こう言ったのだ。



「何なんだ、この、つまらない場所は」



 あれが母の半身……ミナト様だった。
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