桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

『岩時』と申します

 ヒュー……

 ごっくん!

「ごっくん?!」

 何? 今の音。

「え?!」

 小さなフツヌシはいきなり、青くて美しい世界の中へと入り込む。

 シューッ!!!

「う、うわああああああっ!!」

 天然ウォータースライダーで運ばれるがまま、フツヌシは下へ下へと落ちてゆく。


 ポスッ。


 どうやらフツヌシは無事、柔らかな底面に着地したらしい。

 フワフワとして、柔らかい桃色の……珊瑚の上。


「ここ……どこ?」


 どうやら海の中……のような場所らしい。

 あたりにはカラフルな植物や魚などが動き回り、小さな珊瑚や生き物たちが、来たばかりのフツヌシに、好意的に話しかけてくる。

『こんにちは』

『こんにちは、君はだれ?』

「フツヌシ」

『フツヌシだね。僕は珊瑚のモモ。こっちは海藻のカイ。気分はどう?』

「気分? 悪くないよ」

 どこも痛くないし、気分は爽快だ。

 それにここは、とても美味しそうないい匂いがする。

 淡い光が差し込んでおり、海の底にある白い砂をキラキラと輝かせている。

『ここはウミダマ様の、体の中なんだ』

「うそ!」

 海藻のカイに言われ、フツヌシは目を丸くした。

『ほんと。ウミダマ様は今、フツヌシをここに隠したんだ』

 隠した?

『ほら、見てご覧』

 フツヌシは、カイが指さす方角を見た。

 透き通った丸い窓から、うっすらと外が見える。

 先ほどいた場所が見えており、いきなり現れた黒髪の青年が声を発している。

「ここには岩と湯の他、何もないようだな。お前の名は?」

海玉(ウミダマ)と申します」

「では、お前は」

礼環(レーデ)と申します」

「……礼環? 鳳凰か?」

「はい」

「部屋に出入りする鳳凰の中に、お前のような者がいただろうか」

「私は人間世界に生まれました」

「鳳凰ならば時の神か。それにしては……」

 異質な臭いを感じる。

 黒髪の青年は礼環をジロジロと見つめ、不審な表情を露わにした。

 フツヌシはそのやり取りを窓から覗き見しながら、心の中で首を傾げた。

 母様は一体、どこへ行ってしまったのだろう?

 ついさっきまで、近くに立っていたのに。

 まるで、あの黒髪の青年と入れ替わる様に、いなくなってしまった。

「この、岩しか見当たらない場所の名は?」

 つまらなさ過ぎるため、どうにかしようとでも思ったのか、深名斗はいきなり海玉にこの地の名を尋ねた。

 海玉は返答に困り、ちらりと礼環を見て、パッと浮かんだ名を言った。

「『岩時(いわとき)』と申します」

 名前は今、決めました。

 ……とは、さすがに打ち明けられない。

 礼環がすかさず、海玉の言葉に補足する。

「ここは、始まったばかりの地でございます。これから楽しくなりますよ」

「ほう……さては深名弧(ミナコ)がまた退屈しのぎに、僕に内緒の世界を作ったな。ずっと隠し通せると思っているようだが、そうはいかない。おい、この湯は何なんだ? やけに熱いみたいだが」

「これは……自然に発生した『温泉』でございます、深名斗(ミナト)様」

 礼環がさらに、言葉巧みにフツヌシの存在を隠す。

「温泉?」

「はい。浸かると体が癒されるのですよ。お風呂の豪華版だと思っていただければ」

 礼環は青年を、『ミナト様』と呼んだ。

 このやり取りを海玉の中で見ていたフツヌシは、自分が怒った事によって噴き出したお湯が、『温泉』としての効果があることを知った。

「そうか。体が癒されるのか。よし、退屈なので早速、浸かってみよう」

 深名斗は術を使って岩を積み上げ、人が一人くらい入れる程度の部屋を作った。

 その部屋の中で衣服を脱ぎ棄て、温泉の中に入ってみる。

「おお……なかなか温かくて、いい湯ではないか。確かに疲れが取れる!」

 まさに霊水だ。

 体が内側から、ホカホカしてくる。

 見事なものだ、どうしてここまでの力が、こんな世界から生まれるのだろう。

 もしかするとこの地は、栄えるかもしれないな。

 深名斗がそう思った瞬間、さらに驚くべき出来事が起こった。

 湯気が次々と、小さな魂の姿に変わってゆく。

「……何だ?」

 酔いそうなくらいの、いい香りが漂う。

 色とりどりの、光り輝く魂が、フワフワと空中を泳いでいる。

「どういう事だ? まるでこの地にいる人間の魂が、湯気と共に浮かんでいるようだが」

 深名斗は思わず、目の前で漂う光る魂を一つ手に取り、ぱくりと食べた。

「………」

「深名斗様?」

 礼環が声をかけても、しばらく深名斗は反応しなかった。

 海玉も不思議そうに、深名斗を見つめ続けている。

「……うまい」

 深名斗は光る魂のあまりの美味しさに、感動して涙を流した。

「……こんなに幸せを感じたのは、本当に久しぶりだ」

 暖かな温泉と、かぐわしい味がする光る魂。

 ずっとここにいれば、何もかもを許せるような心地がする。

 ポロポロポロ―。

 ポロポロポロ―。

 ポロポロポロ―。

 深名斗が流した涙は真っ黒で、艶々と光り輝いており、とても美しい。

 やがてそれらは、C字形の美しい勾玉(まがたま)へと姿を変えた。

 10粒くらいは落ちたようである。

 フツヌシは興奮した。

 深名斗という青年に魅せられたのはもちろんだが、彼が流した美しい涙は、強大な魔物のような力に満ち溢れている。

 あの涙の石を、食べてみたい。

 海玉の体の中から一部始終を見ていたフツヌシは、そんな強い衝動に駆られた。

 やがて満足したのか、深名斗は温泉に浸かりながらウトウトと眠ってしまった。

「最強神の体から誕生した黒い勾玉は、とても危険な存在です」

 深名斗の耳に届かないよう、礼環が海玉に耳打ちする。

 彼女は深名斗が落とした10粒の勾玉を残らず拾い、自身の懐にしまっている。

「そうなのですか? では、やはりあのお方は……」

「最強神・深名斗様です。彼の涙を誰かが食べようものなら、闇の心に支配されるだけでは済まなくなります。命を落とす可能性もあるでしょう。海玉様、私がこの黒い勾玉を全て、高天原の桃螺(トウラ)まで運び、処分します」

「えっ?!」

 フツヌシはこの時、黒く美しい勾玉のことで頭がいっぱいだったため、礼環の話をまるで聞いていなかった。

「大丈夫。私は鳳凰の身。高天原までは、ひとっ飛びです」

 礼環はこう言っているが、そんな事をして大丈夫なのだろうか。

「あなたが心配です、礼環。それに……」

 海玉は黄金の鳳凰の姿に変身した礼環を見て、率直な気持ちを伝えた。

「もしかするとあなたは半分、人間なのでは?」

 薄々勘付いていたが、礼環のかぐわしい香りは、元気な人間と全く同じだった。

「ふふ。バレましたか? その通りです。でも大丈夫ですよ! 人間らしいのは心だけで、鳳凰としての力は、充分ありますから」


 礼環は一瞬まばゆく輝き、翼を広げて飛んで行った。


 ころん。


 勾玉が1粒、礼環の懐の中から転がり落ちた。


 覗いていたフツヌシだけが、その一瞬を見逃さなかった。


「僕の涙を、どこへ持っていったのだ」


 振り向くと深名斗が目を覚ましており、海玉の方を睨んでいる。

 深名斗は温泉の中で伸びをし、あーあ、とあくびをした。

「せっかく気分が良かったというのに。あの鳳凰、礼環と言ったな。奴は盗人か? 僕の涙を今すぐ返せと伝えよ!」

「かしこまりました」

 しかし、事件は即座に解決した。

 程なくしてまた、最強神の反転が起こり、深名孤が戻って来たのである。

 海玉は喜び、フツヌシを体の中から外へ出してやった。

「ああ! 奇妙な感じだったなぁ!」

 フツヌシは嬉しくなり、きゃっほーと叫びながら踊り狂った。

 そしてあの勾玉が落ちた場所へと向かい、誰にも見つからないように拾い、懐にしまった。

『あとでこっそり、食べてみよう』

「フツヌシよ!」

 クスコがいきなり駆け寄り、フツヌシの体をギュウッと抱きしめた。

「ええっ! 母様! 今まで、どこにいたの?」

 にっこりと笑う息子に、クスコが最高の笑顔で微笑み返した。

「高天原じゃ! さっきはすまなかったのう。ワシをまだ、覚えておるかえ?」

「うん。もちろんだよ、母様! 僕も、さっきはごめんなさいっ!」

 自身の胸の中で頭を下げる息子に、クスコは大きく頷く。

「よい。よいのじゃ」

 クスコは可愛いフツヌシの頭を、よしよしと撫でながら、感動の涙を流した。

 ぽろぽろっ!

「あっ!」

 フツヌシは、母の膝の上に零れ落ちた涙を拾い上げ、即座に尋ねた。

「母様! この涙を一粒、もらってもいい?」

「ワシの涙をか? もちろんじゃとも」

 クスコが流した涙はいつしか、C字形の美しい勾玉(まがたま)へと姿を変えた。


 こうしてフツヌシは、最強神二体の涙を一粒ずつ、手に入れたのである。
 

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