桃色のドラゴンと最強神~ドラゴン・ノスタルジア ~∞クスコ∞

岩時の本能

「くんくん……」

 匂いをかいでからカイは残念そうな様子で丸眼鏡を外し、ライト温泉の方を見た。

「あれ。もう香りがしない」

 モモはほら見ろ、と口を尖らせた。

「だろ。あのカスハラ野郎、見た感じだと相当位の高い神様だ。ライト温泉が気に入らないからフツヌシの『本格派温泉』を真似て、術でも使ったんじゃないか? ねえ大地。温泉に入ってる間、何か変わった事なかった?」

 大地は首を横に振った。

「さあ。俺は特に何も?」

 実は自分の父親がやったとは、正直な大地でも、この場では言いづらい。

 モモは腕組みをしながら、イライラした様子でカイに話しかける。

「それにライト温泉は、フツヌシがいなくなってから僕らが作った、ニセ温泉だろ」

「ニセ?」

 大地の問いに、モモは頷く。

「ライト温泉は本格派温泉の全てを、真似して作っただけなんだ。だから本格派温泉に変わったりはしないはずだ。香りも後づけだし」

 カイはひそひそと、大地に耳打ちした。

「企業秘密だよ、絶対に外で言わないでね」

「あ、ああ」

「フツヌシは、いなくなる前に言ってたんだ……こんな場所知らない。作った記憶がないって。だから戻って来ないよ、もう」

「僕は信じたい。フツヌシはきっと、何もかも忘れさせられただけだって。だから思い出したらきっと、戻って来るんだよ」

「だったら嬉しいけどね」

 大地はモモとカイの会話に登場する、フツヌシの存在が気になった。

 どこかその名に、聞き覚えがあったような気もする。

 「……あ」

 思い出した。

 スズネと戦った時に、大地は聞いたのである。

 岩時神社の本殿の方角から、太くて低い男性の声を。

「あの声!」


『そこまでだ。戻ってこい、スズネ』


『あら、フツヌシ様。どうされたのですか』
『話はあとだ!!』


 あの時スズネは「フツヌシ様」と言った。

 フツヌシは岩時神社を襲った黒龍側の神5体のうちの、一体だったのか!

 大地はその後一度だけ、同じ声を聞いている。

 やるせないような、嘆きの叫びだ。


『────守りを破れ』


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────犯せ。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────奪え。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────盗め。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────殺せ。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────勝ち取れ。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!


 ────弱者を貶せ。


 ────ゴアァァ―ーーッ!!!




 ────我こそ正義。




 特徴ある声だったので間違いない。

 結月を助けた直後に起きた大地震もおそらく、フツヌシの力だろう。


 岩時神社本殿も、ウタカタの虹の橋も崩壊し、跡形も無く消えて……


 道の神・クナドが上から落ちてきて大地とぶつかり、穢れ血を浴びた。


「……なあ。そのフツヌシって奴、いついなくなったんだ?」

 大地に聞かれ、黙っているモモに代わってカイが答えた。

「もう忘れたよ。何千年も前さ」












 一瞬だけだったが、深名斗《ミナト》は歓喜に打ち震えた。

 体が内側から、ホカホカしてくる。

 霊水の中にいるような心地がする。

 痛みや苦しみが取り払われ、子供の頃に感じた力が蘇ってくる。

 さらに驚くべき出来事が起こった。

 湯気が次々と、小さな光の姿に変わってゆくではないか。

「……これは」

 人間の、光る魂。

 酔いそうなくらいの、いい香りだ。

 色とりどりのそれらは、フワフワと空中を漂っている。

「まさか」

 深名斗は思わず、目の前に漂う光る魂を一つ、手に取ってみる。

 そして、口へ運ぼうとするが……

 その瞬間、光る魂は手の中から消えてしまった。

「………」

 もう一度手に取ろうと、浮かんでいるはずの光る魂を見上げるが……

 どこにも見当たらない。

「光る魂はどこへ行った!」

 深名斗は声を荒げた。

 久遠は首を横に振る。

「もう終わり、とでも言うのか?」

「ええ」

「ふざけるな! 久遠、お前は俺に幻覚を見せたのか?」

「いいえ。幻覚だったかどうかは深名斗様が一番、良くご存知のはずです」

 深名斗は一瞬だけ、心の奥底を揺り動かされた。

 深名孤《ミナコ》の存在を、懐かしく思い出したのである。

 だから理解は出来る。

 久遠は嘘をついていないと。

「……思い出したぞ」

 薬草の香りがきつい湯と、かぐわしい味がする光る魂。

 ずっとここにいたい、何もかもを許してもいい、と初めて思った場所。

 認めたくないが、深名斗は深名孤が恋しかった。

 深名斗は自分の半身の存在を受け入れ、本来の自分自身が知りたくてたまらない。

「何が何でももう一度、ここを本格派温泉にしろ、久遠」

 久遠は首を横に振る。

「無理です。私が岩時の『本能』を揺さぶるには、これが限界ですので」

「もっと力を出せばできるだろう! 俺は光る魂を食いたいんだ!!」

「誠に申し訳ございません。先ほど発動した『沸《フツ》』は本来、私が使える類のものではありません。構造が似ている術式を複数組み合わせて作り上げた、二度と再現出来ないものなので」

「芸術家気取りか?」

「まあ、それに近いです」

 思い通りにさせてたまるか、という感情を表に出さないのが久遠である。

 もともと黒龍側の力が使えない久遠は、力の制御が出来るかわりに、エネルギーを際限なく搾り取る事や増幅させる事が出来ない。

「以前、この場所に来たことがある。魂を食って、食いまくって、その場にいた美しい女の血も飲んだ。他には何も思い出せないが」

「……そうでしたか」

 久遠は使命感に燃えている。

 深名斗が犯した過去の悪行はどうにも出来ない。

 だがこれ以上、そういった行いを許すわけにはいかない。

 断じて。

 考え込んでいる深名斗へ、久遠は静かに声をかけた。

「そろそろあがりましょうか。温度が熱くなったので、のぼせてしまいます」

「……嫌だ。さっきの術をもう一度使えと言っているだろう、久遠」

「先ほど、もう無理だと言ったはずです」

「お前に出来ないというのに、あのフツヌシには出来るというのか!」

「ええ。おっしゃる通りです」

 久遠は暑くてたまらないといった様子で、自分だけざばっと湯の中から外へ出た。

 術が自身に及ぼす影響も大きかったようで、鋭く厳しい眼光が深名斗を射る。

「岩時の地を守るのは、現時点では私の役目です。しかし、この地が持つ数々の素晴らしさを生み出したのは他でもない、岩の神・フツヌシです」

「フン、信じられんな」

 大体、久遠の想像通りだろう。

「深名斗様。あなたはフツヌシが、深名孤様の息子だと知っていた。違いますか? だから記憶を完全に消された彼に『クスコを殺せ』と命じたのでは?」

「うるさいな」

 深名斗は湯の中からゆらりと立ち上がり、久遠を睨みつけた。

「知るわけが無いだろう」

 白を切ったか。

 深名孤への嫌がらせが発端のようだが、フツヌシを故郷へ返したのは深名斗だ。

 暗殺は失敗に終わり、深名斗はもう勅命を下したことすら忘れようとしている。

 フツヌシが今後どのような行動を取るかにより、岩時の命運が左右されそうだ。

 久遠は思う。

 自覚しているかはわからないが、フツヌシは生まれながらにして、玉衡《アリオト》の使い手であるようだ。

 恐らくは白龍側の力『玉衡《アリオト》』と、黒龍側の力『黒玉衡《クスアリオト》』の両方を彼は、本能の赴くままに使いこなせるのであろう。

 慈愛の力である玉衡《アリオト》に対し、黒玉衡《クスアリオト》は厄介である。

 内なる力を膨らませ、力をどんどん倍増させながら発動するため、制御できない。

 子供時代、自然に玉衡《アリオト》の実力が最高ランクまで上がってしまい、無意識のうちに黒玉衡《クスアリオト》が使えるようになってしまった可能性がある。

 最強神・深名孤《ミナコ》の息子ならではの現象である。

 黒玉衡《クスアリオト》が暴走する地では、熱が上がり地震が起こる。

 コントロール出来ない力なのだ。

「天権《メグレズ》を使えるな? 久遠」

 深名斗の言葉で我に返る。

「……ええ、まあ」

「フツヌシをここへ呼べ。それならば出来るだろう? 今すぐだ」















 噂のフツヌシはといえば、謎の現象に遭遇していた。

 ごつごつとした巨大岩が乱立した場所にいるのだが……

 フツヌシ自身が、その巨大岩と化していた。

 ドンっ!

「いてぇ!」

 ドンッ!

「おいっ!」

 ドンッ!

「やめろっ!」

 矢白木凌太《やしろぎ りょうた》がはるか下の地面で、和太鼓に似た岩に向かって、赤い炎みたいな色の鉢《バチ》を、何度も打ちつけている。

 金色がかった薄茶色の短髪、赤い天狗の面を首にかけ、黒袴の袖をたくし上げた凌太の周りには、四つの大きな太鼓の形をした岩がそびえ立っている。

「おい! お前! 痛いから岩をその棒で打つな!」

 凌太はフツヌシを、ぎろりと睨みながら見上げた。

「お前じゃない、凌太だ!!!」

 こ、コイツ。

 人間のくせに、迫力が半端ない。

「りょ、凌太?」

 フツヌシはピンときた。

 凌太とは確か、フツヌシが魂を食った、人間の少年であったはず。

「なんだこの、ムキムキスキンヘッド筋肉野郎!」

「貴様こそ変な呼び方をするなー!」

「テメェ巨大石像のくせに、喋れるのか?!」

「巨大石像ではない! 俺様は岩の神・フツヌシだ!!」

「フツヌシ? お前あの……岩の神・フツヌシなのか?!」

「お、おう」

「マジか! これは夢か?! 俺、フツヌシ様に会っちまったぜ!」



 
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