その上司、俺様につき!
「今日は営業部の面談です。午前は4人、午後は5人の予定です」
「……そこに資料を置いておいてくれ。後で確認する」
彼は私の呼びかけに一瞬顔を上げると、簡潔に指示してまたすぐ書類に視線を戻した。
目元にうっすらクマができているような気がする。
いつもならここで「わかりました」と答えるだけだけど、このままじゃ近いうちに久喜さんは倒れてしまうのではないだろうか。
この一週間、あの泥水バッシャー事件を話題にしたことはない。
というか、最低限仕事のやり取りしか会話らしい会話は交わしていない。
聞きたいことは山ほどあるし、言いたいことだって山ほどある。
(お金だって返せてないし……)
これ以上、上司が疲弊しているというのに“何の手伝いもせずに定時で帰る能無し部下”ではいたくなかった。
「あの」
意を決して声をかけると、いつもと違う私の対応に、彼は少し驚いた様子だった。
「なんだ? まだ何か用か?」
「何か私にも、お手伝いできることはありませんか?」
「―――は?」
よほど想定外だったのだろうか。
両目を大きく見開いて、私の顔を凝視している。
(……何よ。私が手伝いを申し出ることが、そんなに意外だっていうの?)
一瞬モヤッとしたものが胸をよぎったけれど、ここで言い合いをするのはあまりにも子どもっぽい。
カッとなりやすい自分の性格をなだめつつ、何とか口元を笑顔の形に歪める。
「データ入力や書類の整備は、そんなに時間のかかる仕事ではありません。もっと他に、お手伝いできることがあれば、やらせていただきたいんですけど」
まだ、この人がどういう性格なのか、仕事に対してどのような姿勢なのかは計り知れていない。
出過ぎた真似をするなと、頭ごなしに怒鳴られる可能性だってある。
でも、それでも、私にできる仕事があるなら、それを任せてほしかった。
「……ふむ」
久喜さんは手にしていた書類をデスクに置くと、改めて私をしっかりと見つめた。
こうして見つめられると、やっぱりドギマギしてしまう。
美人は3日で飽きるというのは嘘だ。
男性の整った顔立ちにすら、緊張するのだから。
「そうだな……じゃあ、このファイルを整理してくれ。あとはこれ。これも終わったらあっちに積んであるファイルを」
「……整理の際、何か気をつけることはありますか?」
(良かった……気分を害した様子はないみたい)
内心ホッと胸を撫で下ろしつつも、極めて平然とした態度で質問を口にする。
「ああ……ファイリングは部署別、苗字の五十音順で頼む。あと、五十音別に見出しラベルを忘れずに貼ってくれ」
(……至って普通に整理すればいいのね)
「わかりました。急ぎですか?」
「いや、今月中に整えば十分だ」
短いやり取りの後、また書類に目を戻しそうになる彼に、慌てて言葉を付け加えた。
「あ、あの!」
「……まだ何か?」
先ほどの驚いた表情とは全く異なる、胡乱な目つき。
(何よ! 敵対しているわけじゃないんだから、そんな目で見なくたっていいじゃない!)
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