パンデミック.新形コロナウイルス
ホテルの部屋のテレビからは、感染者数の速報が淡々と流れている。窓の外の東京は、まるで死んだように静かだ。
僕は、デリバリーの冷めたピザを口に運びながら、ふとリサさんを見た。彼女はヘッドセットを外し、オンラインの仕事から解放されたばかりの気怠げな様子で、僕の隣に座っている。
「ねえ、リサさん」
僕は彼女の手を握った。パンデミックが始まってから、僕の全財産は、この部屋の空気と、彼女の掌の温もりだけになった。
「もし……もしこのコロナが終わって、世界が元通りになったら、僕たちどうなるんだろうね」
リサさんはテレビの画面をぼんやりと見つめたまま、小さく笑った。
「外の世界は冷たいよ、秋生。またみんな、お互いを無視して、トラブルを避けて、自分の殻に閉じこもるようになる。誰かが道で倒れていても、見て見ぬふりをする。そんな日常が戻ってくるだけ」
「そうだよな」
僕は彼女の指先に自分の指を絡ませた。
「でもさ、今、こうしていると不思議なんだ。もしここが、外には出られない病院の地下室だとしても、あるいはもっと狭い独房だったとしても。こうやって毎日同じ看護師さんの顔を見て、同じテレビを一緒に見て、君の手を握れるなら……僕は、今のこの状況の方が、よっぽど人間らしい気がするんだ」
リサさんはゆっくりと僕の方を向いた。その瞳には、仕事中の理性とは違う、剥き出しの感情が宿っていた。
「……わかるよ。外の世界で自由にどこへでも行けることと、ここで二人きりでいること。どっちが幸せかなんて、考えなくてもわかる」
「何がどこにあるか、何をしたか、なんてどうでもいいんだよね」
僕は彼女の肩に頭を預けた。外のサイレンの音さえも、今は遠い星の音のように感じる。
「ただ同じ家にいて、明日もまた同じ顔を見て、手を握る。そんな当たり前のことが、今の時代には一番難しい。だからこそ、今こうして君と一緒にいる時間が、世界で一番贅沢な時間なんだと思う」
リサさんは僕の髪を優しく撫でた。
「そうだね。外の世界がどんなに便利で、どんなに広大でも、そこに『帰る場所』がなかったら、それはただの荒野だよ。ねえ、秋生。夜が明けて世界が戻っても、私たちの心だけはこの隔離された部屋に置いたままにしよう。そうすれば、いつだってここに戻ってこられるから」
テレビのニュースキャスターが、無機質な声で感染拡大の注意を呼びかけている。けれど、その音はもはや僕たちの聖域には届かない。
僕は、リサさんの手の温もりだけを頼りに、深く息を吐いた。
「ああ、そうしよう。僕たちは、この部屋の中だけで完成していればいいんだ。何者かにならなくても、どこへも行けなくても、ただ君と呼吸を合わせる。それが、僕が見つけた唯一の幸せだよ」
外の闇が、僕たちの関係をさらに濃密に塗りつぶしていく。僕たちはただ、肩を寄せ合い、同じテレビの画面を見つめ続けた。パンデミックの夜に、僕たちだけの小さな、けれど確かな人間心理が完成していた。
僕は、デリバリーの冷めたピザを口に運びながら、ふとリサさんを見た。彼女はヘッドセットを外し、オンラインの仕事から解放されたばかりの気怠げな様子で、僕の隣に座っている。
「ねえ、リサさん」
僕は彼女の手を握った。パンデミックが始まってから、僕の全財産は、この部屋の空気と、彼女の掌の温もりだけになった。
「もし……もしこのコロナが終わって、世界が元通りになったら、僕たちどうなるんだろうね」
リサさんはテレビの画面をぼんやりと見つめたまま、小さく笑った。
「外の世界は冷たいよ、秋生。またみんな、お互いを無視して、トラブルを避けて、自分の殻に閉じこもるようになる。誰かが道で倒れていても、見て見ぬふりをする。そんな日常が戻ってくるだけ」
「そうだよな」
僕は彼女の指先に自分の指を絡ませた。
「でもさ、今、こうしていると不思議なんだ。もしここが、外には出られない病院の地下室だとしても、あるいはもっと狭い独房だったとしても。こうやって毎日同じ看護師さんの顔を見て、同じテレビを一緒に見て、君の手を握れるなら……僕は、今のこの状況の方が、よっぽど人間らしい気がするんだ」
リサさんはゆっくりと僕の方を向いた。その瞳には、仕事中の理性とは違う、剥き出しの感情が宿っていた。
「……わかるよ。外の世界で自由にどこへでも行けることと、ここで二人きりでいること。どっちが幸せかなんて、考えなくてもわかる」
「何がどこにあるか、何をしたか、なんてどうでもいいんだよね」
僕は彼女の肩に頭を預けた。外のサイレンの音さえも、今は遠い星の音のように感じる。
「ただ同じ家にいて、明日もまた同じ顔を見て、手を握る。そんな当たり前のことが、今の時代には一番難しい。だからこそ、今こうして君と一緒にいる時間が、世界で一番贅沢な時間なんだと思う」
リサさんは僕の髪を優しく撫でた。
「そうだね。外の世界がどんなに便利で、どんなに広大でも、そこに『帰る場所』がなかったら、それはただの荒野だよ。ねえ、秋生。夜が明けて世界が戻っても、私たちの心だけはこの隔離された部屋に置いたままにしよう。そうすれば、いつだってここに戻ってこられるから」
テレビのニュースキャスターが、無機質な声で感染拡大の注意を呼びかけている。けれど、その音はもはや僕たちの聖域には届かない。
僕は、リサさんの手の温もりだけを頼りに、深く息を吐いた。
「ああ、そうしよう。僕たちは、この部屋の中だけで完成していればいいんだ。何者かにならなくても、どこへも行けなくても、ただ君と呼吸を合わせる。それが、僕が見つけた唯一の幸せだよ」
外の闇が、僕たちの関係をさらに濃密に塗りつぶしていく。僕たちはただ、肩を寄せ合い、同じテレビの画面を見つめ続けた。パンデミックの夜に、僕たちだけの小さな、けれど確かな人間心理が完成していた。