パンデミック.新形コロナウイルス
東京の巨大な病院、その地上階では、今日も変わらず「希望」という名の義務教育が行われていた。
今日、院内学級では卒業式が行われている。色とりどりの紙で作った花が飾られ、教壇には卒業証書が置かれている。しかし、この式の本当の目的は、子供たちを「地下へ送る」という儀式を、美しく隠蔽することにある。
地上の子供たちは、卒業証書を受け取ったその足で、エレベーターの扉へ向かう。扉が開けば、そこには魔法のような治療が待っていると信じて。
同じ時、僕は地下2階の遊園地――「偽りの陽だまり」にいた。
1895ワットの電圧で燃える、特殊な太陽の光。それがメリーゴーランドの金属質な馬の背中を、真昼のように白く照らしている。地下には朝も夜もない。スピーカーから流れる「おはようございます、朝が来ましたよ」という無機質な放送が、唯一の時間の目盛りだった。
「秋生、聴こえる?」
明かりが観覧車の座席で、ぽつりと呟いた。地下2階の天井の向こう、遠い上の階から、かすかに歌声が漏れ聞こえてくる。
地上の院内学級で、明かりの卒業式が行われているのだ。彼女はもうそこにはいない。彼女は「助からない子供」として、既にこの地下へ運ばれてきたから。
「……あの子たち、歌ってるね」
明かりの声は、少し震えていた。
地上の子供たちが歌う『旅立ちの日に』が、コンクリートの壁を伝って、この閉ざされた遊園地まで届いてくる。卒業式という名の下で、彼らは無邪気に歌い、明かりという存在がこの世から消えることを知らないまま、祝福の歌を捧げている。
明かりは観覧車から降りると、誰も乗っていないメリーゴーランドのそばへ歩み寄った。彼女はそこで、小さく、けれど確かに、その歌声をなぞり始めた。
「……幸せ運べるように、歌ってあげようかな」
彼女の歌声は、地下の澱んだ空気を切り裂くように響いた。川嶋あいの『しあわせ運べるように』。震災の傷跡を癒やすために歌われたその歌が、ここでは「死の淵」から未来を想うための聖歌として奏でられる。
メリーゴーランドの軋む音と、彼女の儚い歌声が混ざり合う。
地上の無菌室で行われる嘘の卒業式とは違い、ここは冷たくて、暗くて、けれど何よりも誠実な場所だった。明かりは歌いながら、時折、僕の方を振り返って微笑んだ。その表情には、地上の子供たちが決して知ることのない、諦念を通り越した圧倒的な美しさがあった。
「ねえ、秋生。卒業できたかな。私、もうどこへも行かなくていいんだよね?」
彼女が歌い終えると、1895ワットの人工太陽がわずかに明滅した。
地上の歌声はやんだ。院内学級の卒業式が終わったのだろう。これでもう、明かりは地上のどこにも存在しない。病院のシステムから完全に消去され、この地下2階の住人として、永遠の夜を僕と共有するのだ。
「ああ、卒業おめでとう、明かり」
僕は彼女の手を強く握った。
上では、子供たちが「未来」という名の嘘を卒業していく。ここでは、僕たちが「生」という名の現実を卒業し、ただ二人きりの暗闇を生きる。
遊覧地のメリーゴーランドは誰も乗せていないのに、今もゆっくりと回り続けている。地上の歌声が届かなくなった静寂の中で、僕は明かりを抱きしめた。ここは東京の地下。誰にも見つけられない場所で、僕たちの卒業式は、この冷たい光の下で静かに続いていた。
今日、院内学級では卒業式が行われている。色とりどりの紙で作った花が飾られ、教壇には卒業証書が置かれている。しかし、この式の本当の目的は、子供たちを「地下へ送る」という儀式を、美しく隠蔽することにある。
地上の子供たちは、卒業証書を受け取ったその足で、エレベーターの扉へ向かう。扉が開けば、そこには魔法のような治療が待っていると信じて。
同じ時、僕は地下2階の遊園地――「偽りの陽だまり」にいた。
1895ワットの電圧で燃える、特殊な太陽の光。それがメリーゴーランドの金属質な馬の背中を、真昼のように白く照らしている。地下には朝も夜もない。スピーカーから流れる「おはようございます、朝が来ましたよ」という無機質な放送が、唯一の時間の目盛りだった。
「秋生、聴こえる?」
明かりが観覧車の座席で、ぽつりと呟いた。地下2階の天井の向こう、遠い上の階から、かすかに歌声が漏れ聞こえてくる。
地上の院内学級で、明かりの卒業式が行われているのだ。彼女はもうそこにはいない。彼女は「助からない子供」として、既にこの地下へ運ばれてきたから。
「……あの子たち、歌ってるね」
明かりの声は、少し震えていた。
地上の子供たちが歌う『旅立ちの日に』が、コンクリートの壁を伝って、この閉ざされた遊園地まで届いてくる。卒業式という名の下で、彼らは無邪気に歌い、明かりという存在がこの世から消えることを知らないまま、祝福の歌を捧げている。
明かりは観覧車から降りると、誰も乗っていないメリーゴーランドのそばへ歩み寄った。彼女はそこで、小さく、けれど確かに、その歌声をなぞり始めた。
「……幸せ運べるように、歌ってあげようかな」
彼女の歌声は、地下の澱んだ空気を切り裂くように響いた。川嶋あいの『しあわせ運べるように』。震災の傷跡を癒やすために歌われたその歌が、ここでは「死の淵」から未来を想うための聖歌として奏でられる。
メリーゴーランドの軋む音と、彼女の儚い歌声が混ざり合う。
地上の無菌室で行われる嘘の卒業式とは違い、ここは冷たくて、暗くて、けれど何よりも誠実な場所だった。明かりは歌いながら、時折、僕の方を振り返って微笑んだ。その表情には、地上の子供たちが決して知ることのない、諦念を通り越した圧倒的な美しさがあった。
「ねえ、秋生。卒業できたかな。私、もうどこへも行かなくていいんだよね?」
彼女が歌い終えると、1895ワットの人工太陽がわずかに明滅した。
地上の歌声はやんだ。院内学級の卒業式が終わったのだろう。これでもう、明かりは地上のどこにも存在しない。病院のシステムから完全に消去され、この地下2階の住人として、永遠の夜を僕と共有するのだ。
「ああ、卒業おめでとう、明かり」
僕は彼女の手を強く握った。
上では、子供たちが「未来」という名の嘘を卒業していく。ここでは、僕たちが「生」という名の現実を卒業し、ただ二人きりの暗闇を生きる。
遊覧地のメリーゴーランドは誰も乗せていないのに、今もゆっくりと回り続けている。地上の歌声が届かなくなった静寂の中で、僕は明かりを抱きしめた。ここは東京の地下。誰にも見つけられない場所で、僕たちの卒業式は、この冷たい光の下で静かに続いていた。