パンデミック.新形コロナウイルス
地下2階の遊園地に響く音は、壁を伝うかすかな振動ではない。
病院全体を網羅する強固なWi-Fiネットワークと、各所に設置されたサムソン製のBluetoothハイビジョンスピーカー。それが、地上で行われている卒業式の様子を、クリアな高音質でこの地下まで運んできているのだ。
明かりがそのスピーカーを見上げる。天井に埋め込まれたその機器は、地上の「生」をこの死の淵にまで中継するための、残酷なまでの最新技術だった。
「ねえ、秋生。聴こえる? 私の卒業式の歌」
スピーカーからは、地上の院内学級で歌われる『旅立ちの日に』のピアノ伴奏が、ノイズ一つなく流れてくる。J:COM経由で配信されるその映像と音声は、地上と地下の距離を無慈悲なほどゼロにする。
明かりは、遊園地の隅にあるサムソン製の最新テレビの前に座り込んだ。ここには配線なんていらない。ネットワークさえあれば、外の世界の「音楽の日」も、地上の卒業式の映像も、すべてがリアルタイムで映し出される。
「卒業式……やってるね。あの子たち、私の椅子を空けて、何て言ってるのかな」
画面の中では、空席の椅子に卒業証書が置かれている。それを見つめる明かりの瞳には、液晶の青い光が反射していた。地上の子供たちは、スピーカーを通じてこの地下の空気を感じることはない。けれど、僕たちには、地上の卒業式がすべて見えている。
「『しあわせ運べるように』、歌おう。スピーカーに合わせて」
明かりが立ち上がり、テレビから流れる伴奏に合わせて歌い始める。
僕たちの声は、Bluetoothの電波に乗り、病院のシステムを回遊する。もしかしたら、その音は地上の院内学級のスピーカーからも、かすかな残響として流れているのかもしれない。
遊園地の人工太陽の下、メリーゴーランドがゆっくりと回り、観覧車が静止する。
地上の子供たちが画面の中の風景として僕たちを見ることはないが、僕たちは地上の卒業式をこのテレビで見守り、歌い、そして静かに「卒業」を受け入れた。
地下2階は、もう隔離された場所ではない。サムソンのネットワークが、地上の「嘘」と地下の「現実」をシームレスに繋いでいる。
「これで、私も卒業生だね、秋生」
明かりがふと笑う。テレビには卒業式のクライマックスが映し出されている。
地上の卒業証書は紙でできているけれど、僕たちが今ここで手に入れたのは、誰にも奪えない、この閉ざされた地下2階での、二人きりの「真実の卒業」だった。
スピーカーから流れる旋律が、少しずつフェードアウトしていく。
地上の式が終わったのだ。病院全体に静寂が戻る。テレビ画面には次の番組のテロップが表示され、僕たちはまた、二人だけの夜という名の時間に溶けていった。
< 135 / 382 >

この作品をシェア

pagetop