パンデミック.新形コロナウイルス
東京のその巨大な病院は、パンデミックという名目で異様な進化を遂げていた。
地上には最新の治療を謳う小児科。地下1階には手術を待つ者たちの病室。地下2階には、もう治る見込みがないと切り捨てられた子供たちのための「遊園地」と霊安室。そして、さらにその下、地下3階には、コロナ感染症の患者がすべて隔離されていた。
この病院の構造は、上から下へと一方通行だ。地下3階からウイルスが地上へ漏れ出さないよう、気圧まで厳重に管理されている。まさに、死と病を階層ごとに仕分けし、地上の「健康な日常」を守るための、残酷なピラミッドだった。
明かりは、その仕組みの犠牲者の一人だった。
「もう、抗がん剤は打たない」
彼女はそう決断したんだ。抗がん剤の副作用でボロボロになり、吐き気に悶え、視界が真っ白になるほど弱っていくくらいなら、その力を残して、最後の日々を人間らしく生きたいと願った。病院側は、治療を拒否した彼女を「生存率ゼロ」と見なし、そのまま地下2階へと「処分」するように運んだ。
僕は、その地下2階で明かりを担当する看護師として、彼女のそばにいた。
表向きは担当医と患者、看護師と患者という関係。でも、実際には、死を待つだけの場所で僕たちは「二人」になった。
「秋生、抗がん剤なんていらない。ねえ、このまま二人でいようよ」
彼女がそう言ったとき、僕はすべてを捨てて彼女を受け入れた。もう助からないなら、無意味な延命治療で苦しめる必要なんてない。僕は彼女の担当として、カルテには「治療中」と虚偽の記録を書き続け、実際には彼女の冷たい指先を握り、同じ部屋で眠り、二人だけの時間という名の「聖域」を守った。
サムソン製のハイビジョンスピーカーから流れる、地上の卒業式の音楽。
そのすぐ下の地下3階では、コロナ患者たちが隔離され、死と隣り合わせの静寂に包まれている。ウイルスという目に見えない壁が、この病院をより深く、より閉鎖的な密室にしていた。
「ねえ、秋生。ここからはもう、どこへも行けないね」
明かりは観覧車のゴンドラの中で、僕の腕に深くしがみついた。
僕たちは、死にゆく者同士、あるいは生から見捨てられた者同士として、この東京の地下深くに沈んだ。地上の人々がコロナを恐れ、互いに距離を取り、殺伐としている間、僕たちはその地下で、誰よりも熱く、誰よりも近くで愛を確かめ合っていた。
担当看護師としての役割を演じながら、僕は彼女の髪を撫でる。抗がん剤の毒を入れなかった彼女の頬は、それでも日に日に痩せていくけれど、その瞳には、地上の誰よりも強い光が宿っていた。
「そうだよ、明かり。もう、誰もここには踏み込まない。ここは僕たちの、世界で一番深い場所だ」
病院のWi-Fiシステムが、地上の「卒業式」を伝えてくる。
地上では子供たちが未来という名の嘘を歌い、そのすぐ下では死がメリーゴーランドを回し、そのさらに下ではウイルスが息を潜めている。
僕たちは、抗がん剤という「生への執着」を手放すことで、本当の意味で自由になったんだ。死ぬまでのわずかな期間、看護師と患者という仮面を被りながら、誰にも邪魔されない深い愛を育む。
それが、この狂った時代の、僕たちなりの最大の反逆だった。
地上には最新の治療を謳う小児科。地下1階には手術を待つ者たちの病室。地下2階には、もう治る見込みがないと切り捨てられた子供たちのための「遊園地」と霊安室。そして、さらにその下、地下3階には、コロナ感染症の患者がすべて隔離されていた。
この病院の構造は、上から下へと一方通行だ。地下3階からウイルスが地上へ漏れ出さないよう、気圧まで厳重に管理されている。まさに、死と病を階層ごとに仕分けし、地上の「健康な日常」を守るための、残酷なピラミッドだった。
明かりは、その仕組みの犠牲者の一人だった。
「もう、抗がん剤は打たない」
彼女はそう決断したんだ。抗がん剤の副作用でボロボロになり、吐き気に悶え、視界が真っ白になるほど弱っていくくらいなら、その力を残して、最後の日々を人間らしく生きたいと願った。病院側は、治療を拒否した彼女を「生存率ゼロ」と見なし、そのまま地下2階へと「処分」するように運んだ。
僕は、その地下2階で明かりを担当する看護師として、彼女のそばにいた。
表向きは担当医と患者、看護師と患者という関係。でも、実際には、死を待つだけの場所で僕たちは「二人」になった。
「秋生、抗がん剤なんていらない。ねえ、このまま二人でいようよ」
彼女がそう言ったとき、僕はすべてを捨てて彼女を受け入れた。もう助からないなら、無意味な延命治療で苦しめる必要なんてない。僕は彼女の担当として、カルテには「治療中」と虚偽の記録を書き続け、実際には彼女の冷たい指先を握り、同じ部屋で眠り、二人だけの時間という名の「聖域」を守った。
サムソン製のハイビジョンスピーカーから流れる、地上の卒業式の音楽。
そのすぐ下の地下3階では、コロナ患者たちが隔離され、死と隣り合わせの静寂に包まれている。ウイルスという目に見えない壁が、この病院をより深く、より閉鎖的な密室にしていた。
「ねえ、秋生。ここからはもう、どこへも行けないね」
明かりは観覧車のゴンドラの中で、僕の腕に深くしがみついた。
僕たちは、死にゆく者同士、あるいは生から見捨てられた者同士として、この東京の地下深くに沈んだ。地上の人々がコロナを恐れ、互いに距離を取り、殺伐としている間、僕たちはその地下で、誰よりも熱く、誰よりも近くで愛を確かめ合っていた。
担当看護師としての役割を演じながら、僕は彼女の髪を撫でる。抗がん剤の毒を入れなかった彼女の頬は、それでも日に日に痩せていくけれど、その瞳には、地上の誰よりも強い光が宿っていた。
「そうだよ、明かり。もう、誰もここには踏み込まない。ここは僕たちの、世界で一番深い場所だ」
病院のWi-Fiシステムが、地上の「卒業式」を伝えてくる。
地上では子供たちが未来という名の嘘を歌い、そのすぐ下では死がメリーゴーランドを回し、そのさらに下ではウイルスが息を潜めている。
僕たちは、抗がん剤という「生への執着」を手放すことで、本当の意味で自由になったんだ。死ぬまでのわずかな期間、看護師と患者という仮面を被りながら、誰にも邪魔されない深い愛を育む。
それが、この狂った時代の、僕たちなりの最大の反逆だった。