パンデミック.新形コロナウイルス
地下3階、気圧が微妙に高められた閉鎖区画。そこから響く機械的な鼓動が、病院全体の「調整」を物語っている。
手術室の扉が開き、ストレッチャーが運ばれてきた。執刀医の顔は見えない。彼らは地下の専用エレベーターから直行し、用が済めばそのまま地下の仮眠室へと消える。地上の病棟看護師が、一度たりともその顔を拝むことはない。
僕は地下2階のナースステーションで、改ざん用の端末に向かっていた。
「麻酔の過剰投与、心肺停止。全身麻酔不適合患者に対する強行手術」
カルテにはそう書き込むべき事実が、僕の手によって塗り替えられていく。「呼吸不全による自然死。予後不良、極めて予測された転帰」。数分前まで生きていたはずの患者は、端末のボタン一つで「運命的な死」へと加工された。これがこの病院の、地下のルールだ。
「秋生、また消したの?」
背後から声がした。明かりだ。彼女は点滴スタンドを杖代わりにして、僕の肩越しに画面を覗き込んだ。彼女の担当としてこの地下にいる僕たちは、隠蔽の共犯者であり、このシステムを維持するための歯車だった。
「仕方ないだろ。上と繋がれば、僕たちがここで何をやってるかバレる。それに、上は『地上』という嘘を守ることで精一杯なんだ」
僕は端末を閉じ、彼女の手を握った。明かりの肌は今日も少しだけ温度を失っている。彼女は抗がん剤を拒否したことで、病院側からは「失敗した症例」として処理され、この地下へ追いやられた。つまり、僕たちがこうして地下で愛し合っていること自体が、病院にとっては「隠さなければならないミス」そのものなのだ。
「ねえ、地上の卒業式は終わった?」
明かりはサムソン製のハイビジョンスピーカーを見上げた。そこから、また別の病棟の、別の「死」が報告される音がする。スピーカーは病院内のネットワークを網羅し、次に誰を地下へ送り込むべきかという指示を淡々と送っている。
病院の地下は、刑務所よりも残酷だ。刑務所には刑期があるが、ここには出口がない。手術室のミスは地下で処理され、助からない患者は地下で忘れ去られ、ウイルスに感染した者は地下3階で沈黙する。
「明かり、明日には……僕たちも、この処理される側になるのかもしれない」
僕は彼女を抱き寄せた。明かりは僕の白衣の襟を掴み、力なく笑った。
「いいよ、秋生。上の方で、嘘の卒業証書を配っている人たちより、今の私たちの方がずっと生きている。そうでしょ?」
天井のスピーカーから、次の患者の搬送予定が読み上げられる。地下エレベーターが地上の希望を乗せ、死の階層へと降下してくる重低音が響いた。
僕は端末を叩き、システム上の記録をまた一つ葬り去る。地上の人たちが信じる「最新の医療」という名の神話が、この地下の汚れたインクによって支えられていることを、世界は永遠に知らない。僕たちは、この巨大な病院という名の密室で、死を隠し、愛を隠し、ただ沈んでいくだけだ。
「……行こう。次の患者が、エレベーターを降りてくる」
僕たちは繋いだ手を離し、隠蔽の仮面を被り直した。地下2階の遊園地に、無機質な人工太陽が再びまぶしく点灯する。それが、この病院で死を告げる合図だった。
手術室の扉が開き、ストレッチャーが運ばれてきた。執刀医の顔は見えない。彼らは地下の専用エレベーターから直行し、用が済めばそのまま地下の仮眠室へと消える。地上の病棟看護師が、一度たりともその顔を拝むことはない。
僕は地下2階のナースステーションで、改ざん用の端末に向かっていた。
「麻酔の過剰投与、心肺停止。全身麻酔不適合患者に対する強行手術」
カルテにはそう書き込むべき事実が、僕の手によって塗り替えられていく。「呼吸不全による自然死。予後不良、極めて予測された転帰」。数分前まで生きていたはずの患者は、端末のボタン一つで「運命的な死」へと加工された。これがこの病院の、地下のルールだ。
「秋生、また消したの?」
背後から声がした。明かりだ。彼女は点滴スタンドを杖代わりにして、僕の肩越しに画面を覗き込んだ。彼女の担当としてこの地下にいる僕たちは、隠蔽の共犯者であり、このシステムを維持するための歯車だった。
「仕方ないだろ。上と繋がれば、僕たちがここで何をやってるかバレる。それに、上は『地上』という嘘を守ることで精一杯なんだ」
僕は端末を閉じ、彼女の手を握った。明かりの肌は今日も少しだけ温度を失っている。彼女は抗がん剤を拒否したことで、病院側からは「失敗した症例」として処理され、この地下へ追いやられた。つまり、僕たちがこうして地下で愛し合っていること自体が、病院にとっては「隠さなければならないミス」そのものなのだ。
「ねえ、地上の卒業式は終わった?」
明かりはサムソン製のハイビジョンスピーカーを見上げた。そこから、また別の病棟の、別の「死」が報告される音がする。スピーカーは病院内のネットワークを網羅し、次に誰を地下へ送り込むべきかという指示を淡々と送っている。
病院の地下は、刑務所よりも残酷だ。刑務所には刑期があるが、ここには出口がない。手術室のミスは地下で処理され、助からない患者は地下で忘れ去られ、ウイルスに感染した者は地下3階で沈黙する。
「明かり、明日には……僕たちも、この処理される側になるのかもしれない」
僕は彼女を抱き寄せた。明かりは僕の白衣の襟を掴み、力なく笑った。
「いいよ、秋生。上の方で、嘘の卒業証書を配っている人たちより、今の私たちの方がずっと生きている。そうでしょ?」
天井のスピーカーから、次の患者の搬送予定が読み上げられる。地下エレベーターが地上の希望を乗せ、死の階層へと降下してくる重低音が響いた。
僕は端末を叩き、システム上の記録をまた一つ葬り去る。地上の人たちが信じる「最新の医療」という名の神話が、この地下の汚れたインクによって支えられていることを、世界は永遠に知らない。僕たちは、この巨大な病院という名の密室で、死を隠し、愛を隠し、ただ沈んでいくだけだ。
「……行こう。次の患者が、エレベーターを降りてくる」
僕たちは繋いだ手を離し、隠蔽の仮面を被り直した。地下2階の遊園地に、無機質な人工太陽が再びまぶしく点灯する。それが、この病院で死を告げる合図だった。