パンデミック.新形コロナウイルス
地下1階のデパートエリアは、ただの売り場ではない。それは、死を待つ者たちのための、世界で最も過剰で、過保護な夢の空間だ。
ヨドバシカメラの眩い照明の隣には、重厚な絨毯が敷かれた映画館がある。そこでは、地上の興行記録を塗り替えた『鬼滅の刃』が、大画面で常に上映されている。パンデミックの最中、映画館が閉鎖され、地上の子供たちが娯楽を奪われていた時も、この地下のスクリーンは止まることがなかった。
「ここなら、呼吸器を外しても、誰にも怒られないよ」
映画館の暗闇の中、明かりがそう囁く。彼女の隣の席には、抗がん剤の点滴スタンドが並んでいる。
さらに驚くべきは、その「映画のあり方」だ。抗がん剤の投与室は、ただの無機質な小部屋ではない。部屋の壁面そのものが巨大なモニターとなり、点滴の時間がそのまま映画の時間とシンクロする。吐き気や痛みに襲われるその時間さえも、映画の物語に没入することで忘れてほしいという、病院の冷徹かつ過剰なまでの「優しさ」が、この最新システムには込められている。
そして、この地下都市のローソンには、タッチパネル式の無人レジなんて存在しない。
「いらっしゃいませ。今日は何が食べたい?」
そこには必ず、人の温もりがある。以前、僕が好きだったあの店員のおばちゃんも、今はここにいる。彼女は、地上のコンビニで「客と身体的に接触するな」というマニュアルを破り、苦しんでいる患者の手を握ったという理由で解雇された。しかし、この地下ではその「過剰な愛」こそが歓迎されている。
彼女は、抗がん剤で痺れる小さな子供の手を、レジ越しにずっと握り続けている。効率など二の次だ。患者と喋るために、レジには必ず人が立つ。
「この子はね、これが好きなの。お会計なんて、後でいいよ」
彼女の差し出す手は、僕がかつて見た時よりもずっと温かい。
ヨドバシカメラでゲームを買い、映画館で物語に逃げ込み、ローソンのおばちゃんに手を握られながらお菓子をもらう。すべては病院というシステムが用意した「最期の舞台装置」だ。
地上の世界では、僕たちはマスクをし、距離を取り、効率のために人間性を切り捨ててきた。けれど、この地下都市には、そんなものは何もない。あるのは、効率的な「失敗の隠蔽」と、その裏側で必死に守り抜かれる「歪な人間らしさ」だけだ。
「秋生、おばちゃんの手、すごく温かいね」
明かりが映画の光に照らされて微笑む。
僕たちはこの場所で、死ぬことへの恐怖を、最新のデジタル技術と、解雇された店員たちの不器用な愛で埋め合わせている。外の世界から見れば、ここは病院の地下の隔離病棟に過ぎない。けれど、ここで生きる僕たちにとっては、ここだけが唯一、人間が人間としていられる聖域なのだ。
映画が終わり、暗闇の中で誰かがすすり泣く声がする。抗がん剤の点滴が滴る音と、隣の病室から聞こえる発作の叫び。すべてを映画のサウンドトラックが飲み込んでいく。
この地下都市で、僕たちは今日も「夢」を買い、手を握り合い、死という名の出口へ向かって、ゆっくりと歩いている。
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