パンデミック.新形コロナウイルス
この病院の地下は、もはや一つの都市を超え、東京の深層を統べる「特区」そのものだ。
病院の地下深く、かつて防空壕や軍事施設が計画されていたであろう空間を転用し、この場所は秋葉原のアイドルセンターや、都内の主要テレビ局、そして感染症禍の避難所となっていた高級ホテルと、地下の機密トンネルで直結している。
そのルートには、厳重な「無菌ゲート」がいくつも設置されている。
「今夜、乃木坂が来るよ」
僕が耳にすると、地下の空気は瞬時に変わる。テレビ局のスタジオが閉鎖されるようなパンデミックの夜でも、無菌状態が保証されたこの地下ステージであれば、アイドルのライブが可能になる。
ホテルから地下道を通ってやってくるスターたちは、必ずこのゲートでPCR検査を受ける。もし一人でも陽性反応が出れば、その夜のステージは即座に差し替えだ。テレビの裏方スタッフたちが完璧に衣装を着込み、乃木坂のメンバーの代わりにステージへと飛び出す。地上で見ているファンには、決して気づかれない「入れ替わり」の演劇が、この地下の無影灯の下で淡々と繰り返されているのだ。
「LiSAも来たことがあるんだってね」
明かりが遊園地のベンチで、遠くのトンネルから響く低い重低音を聞きながら呟く。あれは、地下を走る「専用地下鉄」の音だ。病院の地下ホームには、無機質な車両が停車している。地上でパンデミックの恐怖に怯える人々を横目に、この病院の地下鉄は、トップスターや重要人物、そして「病院から決して出られない者たち」を、誰にも見られずに密かに運び続ける。
この地下都市の構造は、まさに「光と影の融合」だ。
表向きのテレビ局には、スターたちが歌う華やかな映像が送られる。だがその信号は、一度この地下の無菌スタジオを経由し、徹底した消毒を受けた「清浄な映像」として世界へ発信されている。スターたちの歌声は、抗がん剤で苦しむ患者たちの耳にも届けられ、モニターの中で踊る彼女たちは、地上の窮屈な日常から切り離された「夢」そのものとして地下を駆け巡る。
「僕たちは、東京の裏側にいるんだね」
ヨドバシカメラの明かりと、映画館のスクリーン。そして、今もどこかの地下道を通って向かってくるスターたちの足音。
効率を追求する地上の社会が感染の恐怖で崩壊している間、この病院は地下で「エンターテインメントの聖域」を保ち続けた。地下鉄のレールは、この病院と東京という巨大都市の「暗部」を繋ぎ、今日もまた、誰にも言えない秘密を乗せて走っている。
僕たちがカルテの嘘を書き換えているすぐ隣で、スターがライブをし、無人のレジ代わりの店員たちがそれを誇らしげに見守る。この地下のすべてが、病院という名の巨大な機械の潤滑油となり、僕たちの命と嘘を、永遠に回し続けているのだ。
< 147 / 382 >

この作品をシェア

pagetop