パンデミック.新形コロナウイルス
「退院したくない」と泣きじゃくる私に、ニコルは静かに、けれどどこか切なげな瞳を向けてこう言った。
「あかりちゃんには、お父さんもお母さんもいないの。……でも、秋生君にはいるでしょ? それだけでも、幸せだと思わなくちゃいけないんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられ、私はたまらず声を上げて泣き出した。頭では分かっている。家には両親が待っていて、いつまでもこの病院にしがみついているわけにはいかないことも、あかりが背負っている過酷な運命のことも。それでも、この場所から離れたくない、ニコルと離れたくないという衝動は抑えきれなかった。
やがて、迎えにやってきた父親のバイクのエンジン音が静かな敷地に響いた。しかし、私はその誘いをきっぱりと拒絶した。どうしても帰りたくない。父親を追い返し、私はあかりとニコル、3人でその夜も病院のベッドに留まることを選んだ。
そして――あの日のあたたかな記憶と別れを告げるかのように、私たちはニコルとともに、あかりの待つ地下室の病棟へと足を踏み入れた。
そこにあったのは、徹底的に外気から遮断されたクリーンルーム。白血病という容赦ない病魔に立ち向かうため、抗がん剤治療と骨髄移植という果てしない過酷さに挑むあかりが守られている場所だった。
白亜の病棟が持つ表の温もりと、冷徹な闇の狭間で。私たちは、その地下深くの無機質な空間で、あかりの小さな命の灯火を護り続けるための、新たな闘いの日々へと身を投じていったのだった。
< 308 / 417 >

この作品をシェア

pagetop