パンデミック.新形コロナウイルス
## 勉強の形、ふたりの距離:院内学級という特異点
病院の白い壁に囲まれた院内学級の机の上。教科書を開いても文字が頭に入ってこなかったはずの僕が、今やノートを挟んで隣に座る明りの存在だけで、勉強そのものを楽しいと感じ始めている。
心理学的に見れば、これは非常に興味深い現象だ。心理学における「動機づけ」や「条件付け」の観点から言えば、本来、学習という負荷の高い行為や退屈な作業それ自体は、それほど高い報酬(快楽)をもたらさない。しかし、そこに「愛着を抱く好きな人と時間を共有する」という強烈な報酬が結びつくと、脳内のドーパミン回路が刺激され、嫌悪感や面倒くささが「楽しさ」へと塗り替えられていく。人は誰かと喜びや困難を分かち合うとき、その活動そのものの意味を変えてしまう力を持っているのだ。
だが、この純粋な営みは、外の世界――一般的な学校や職場においては、ほとんど歓迎されない。
世の中の小・中学校、高校、そして大学や職場に至るまで、私たちは「男女が二人きりで密接に関わること」に対して過剰な警戒心を抱くようにプログラミングされている。そこには「異性間の交際は勉強や仕事の妨げになる」という旧来の偏見だけでなく、トラブルや責任を恐れる大人たちの保身が隠されている。現代の学校組織や社会の目は冷ややかで、「男女が図書室で二人だけで机を並べて勉強する」なんて光景は、すぐに不純なものとして咎められ、引き離されてしまうのが関の山だろう。
効率や管理、そして無難な秩序が最優先される一般社会では、人と人との生々しい繋がりや、理屈を超えた温もりは「排除すべきリスク」として扱われる。
しかし、この院内学級は違った。病という日常から切り離された空間だからこそ、あるいは、いつ何が起こるか分からない現実のすぐ隣に身を置いているからこそ、世間の冷たい物差しや窮屈なルールが入り込む隙間がなかった。ここでは、僕が勉強を好きになれたことも、明りが僕をからかいながら隣にいてくれることも、誰にも邪魔されない真実の光だった。
世間の常識や管理主義の冷たさをあざ笑うかのように、僕たちは今日も、この狭い空間で確かに生きるための知恵と、互いを求める心を育んでいる。
病院の白い壁に囲まれた院内学級の机の上。教科書を開いても文字が頭に入ってこなかったはずの僕が、今やノートを挟んで隣に座る明りの存在だけで、勉強そのものを楽しいと感じ始めている。
心理学的に見れば、これは非常に興味深い現象だ。心理学における「動機づけ」や「条件付け」の観点から言えば、本来、学習という負荷の高い行為や退屈な作業それ自体は、それほど高い報酬(快楽)をもたらさない。しかし、そこに「愛着を抱く好きな人と時間を共有する」という強烈な報酬が結びつくと、脳内のドーパミン回路が刺激され、嫌悪感や面倒くささが「楽しさ」へと塗り替えられていく。人は誰かと喜びや困難を分かち合うとき、その活動そのものの意味を変えてしまう力を持っているのだ。
だが、この純粋な営みは、外の世界――一般的な学校や職場においては、ほとんど歓迎されない。
世の中の小・中学校、高校、そして大学や職場に至るまで、私たちは「男女が二人きりで密接に関わること」に対して過剰な警戒心を抱くようにプログラミングされている。そこには「異性間の交際は勉強や仕事の妨げになる」という旧来の偏見だけでなく、トラブルや責任を恐れる大人たちの保身が隠されている。現代の学校組織や社会の目は冷ややかで、「男女が図書室で二人だけで机を並べて勉強する」なんて光景は、すぐに不純なものとして咎められ、引き離されてしまうのが関の山だろう。
効率や管理、そして無難な秩序が最優先される一般社会では、人と人との生々しい繋がりや、理屈を超えた温もりは「排除すべきリスク」として扱われる。
しかし、この院内学級は違った。病という日常から切り離された空間だからこそ、あるいは、いつ何が起こるか分からない現実のすぐ隣に身を置いているからこそ、世間の冷たい物差しや窮屈なルールが入り込む隙間がなかった。ここでは、僕が勉強を好きになれたことも、明りが僕をからかいながら隣にいてくれることも、誰にも邪魔されない真実の光だった。
世間の常識や管理主義の冷たさをあざ笑うかのように、僕たちは今日も、この狭い空間で確かに生きるための知恵と、互いを求める心を育んでいる。