パンデミック.新形コロナウイルス
薄暗い病室の窓の外で、夜の雨が音もなくアスファルトを濡らしていた。
抗がん剤の点滴ボトルが、規則正しく無機質な液滴を落とし続けている。化学療法も、放射線も、確かに命を繋ぎとめるための現代医療の武器だ。しかし、この冷たい鉄と薬の匂いに満ちた世界で、患者の体を内側から温め、生きる力を底上げしているのは、果たして本当にそれだけだろうか。
――いや、違う。
東洋医学や医療心理学、そして独自の子供研究や臨床の現場がひそかに示し始めているのは、別の真実だった。たとえ最先端の治療によって病巣そのものが消え去らなくても、たとえば「誰かを深く好きになること」、あるいは「いつも心を通わせる大切な人と触れ合うこと」があるならば、人間の身体は驚くべき変化を見せる。脳内で分泌されるホルモンが変わり、免疫力が向上し、たとえ体に癌や白血病という爆弾を抱えていたとしても、人はより長く、そして鮮やかに生き延びることができる。データや数値には表れない、その「生命の熱量」こそが本当の治癒なのだ。
だが、現代社会はどうだろう。
世の中は慢性的な不安に満ちあふれている。車を運転していて少し道が混んだだけで、電車が数分遅れただけで、人々は極端に神経を尖らせ、耐え難い不安に襲われる。その根源にあるのは、社会システムが効率と管理を優先するあまり、「人と人との時間」や「温もりを分かち合う余裕」を奪い去ってしまったことだ。
もしも、渋滞でイライラしている車の助手席に、愛する恋人や子供が乗っていたらどうだろう。もしも、隣で温もりを感じ合える存在がいたなら、日常の小さな苛立ちや車酔いのような身体の不調さえ、嘘のように消え去るはずだ。
現代社会が人と人、特に男と女が自然に結びつくことに対して過剰にハードルを上げ、隔離し、トラブルを恐れるあまり孤立を生み出したこと――それこそが、現代人の蔓延する心身の病の元凶なのだ。
だからこそ、人間の本質的な救済や、心の防衛としてのアプローチを考えるとき、性的な欲求や触れ合いを満たす営みさえも、もっと広い意味での「治療」として捉え直されていいのではないか。仮にそれが一時的なものだと言われようとも、人間の孤独や不安を和らげる手段として、風俗的なアプローチやケアのあり方にさえ医療保険が適用されてもおかしくない――そう本気で思えるほどの切実さが、今の世の中にはある。
物語の中の夜は、さらに深く、静かに更けていく。
昼間、別の場所でニコルと交錯し、その複雑な関係性の名残として精子を性病検査のチューブに提出するという現実的な手続きを済ませた深夜。すべてが乾いた事務手続きのように処理される病院の裏側で、僕が本当に求めていたのは、そんな冷徹なシステムではない。
静まり返った病室の隅、明かりの落とされたベッドの上。
僕たちは、お互いの体温を確かめ合うように、深く求め合っていた。
抗がん剤の副作用で少し冷たくなった彼女の指先を包み込み、呼吸を合わせる。肌と肌が触れ合うその摩擦だけが、この世界に確かな実体を持って存在している。言葉はいらない。不安に満ちた社会のルールや、世間が貼る冷たいレッテルなど、この温もりの前ではすべて意味を失う。
これこそが治療なのだ。
薬でも手術でもなく、ただ愛する人と肌を重ね、生の実感を取り戻すこと。この夜の営みこそが、僕たちの命を繋ぎ止める、世界で唯一の、そして最も正しい医療だった。
抗がん剤の点滴ボトルが、規則正しく無機質な液滴を落とし続けている。化学療法も、放射線も、確かに命を繋ぎとめるための現代医療の武器だ。しかし、この冷たい鉄と薬の匂いに満ちた世界で、患者の体を内側から温め、生きる力を底上げしているのは、果たして本当にそれだけだろうか。
――いや、違う。
東洋医学や医療心理学、そして独自の子供研究や臨床の現場がひそかに示し始めているのは、別の真実だった。たとえ最先端の治療によって病巣そのものが消え去らなくても、たとえば「誰かを深く好きになること」、あるいは「いつも心を通わせる大切な人と触れ合うこと」があるならば、人間の身体は驚くべき変化を見せる。脳内で分泌されるホルモンが変わり、免疫力が向上し、たとえ体に癌や白血病という爆弾を抱えていたとしても、人はより長く、そして鮮やかに生き延びることができる。データや数値には表れない、その「生命の熱量」こそが本当の治癒なのだ。
だが、現代社会はどうだろう。
世の中は慢性的な不安に満ちあふれている。車を運転していて少し道が混んだだけで、電車が数分遅れただけで、人々は極端に神経を尖らせ、耐え難い不安に襲われる。その根源にあるのは、社会システムが効率と管理を優先するあまり、「人と人との時間」や「温もりを分かち合う余裕」を奪い去ってしまったことだ。
もしも、渋滞でイライラしている車の助手席に、愛する恋人や子供が乗っていたらどうだろう。もしも、隣で温もりを感じ合える存在がいたなら、日常の小さな苛立ちや車酔いのような身体の不調さえ、嘘のように消え去るはずだ。
現代社会が人と人、特に男と女が自然に結びつくことに対して過剰にハードルを上げ、隔離し、トラブルを恐れるあまり孤立を生み出したこと――それこそが、現代人の蔓延する心身の病の元凶なのだ。
だからこそ、人間の本質的な救済や、心の防衛としてのアプローチを考えるとき、性的な欲求や触れ合いを満たす営みさえも、もっと広い意味での「治療」として捉え直されていいのではないか。仮にそれが一時的なものだと言われようとも、人間の孤独や不安を和らげる手段として、風俗的なアプローチやケアのあり方にさえ医療保険が適用されてもおかしくない――そう本気で思えるほどの切実さが、今の世の中にはある。
物語の中の夜は、さらに深く、静かに更けていく。
昼間、別の場所でニコルと交錯し、その複雑な関係性の名残として精子を性病検査のチューブに提出するという現実的な手続きを済ませた深夜。すべてが乾いた事務手続きのように処理される病院の裏側で、僕が本当に求めていたのは、そんな冷徹なシステムではない。
静まり返った病室の隅、明かりの落とされたベッドの上。
僕たちは、お互いの体温を確かめ合うように、深く求め合っていた。
抗がん剤の副作用で少し冷たくなった彼女の指先を包み込み、呼吸を合わせる。肌と肌が触れ合うその摩擦だけが、この世界に確かな実体を持って存在している。言葉はいらない。不安に満ちた社会のルールや、世間が貼る冷たいレッテルなど、この温もりの前ではすべて意味を失う。
これこそが治療なのだ。
薬でも手術でもなく、ただ愛する人と肌を重ね、生の実感を取り戻すこと。この夜の営みこそが、僕たちの命を繋ぎ止める、世界で唯一の、そして最も正しい医療だった。