パンデミック.新形コロナウイルス
冷たい点滴の針が、静まり返った病室の空気の中でかすかな音を立てている。
管理と効率、マニュアル通りの「正しさ」だけがすべてを支配する現代の医療現場。患者が「こんな治療はやりたくない」と拒絶すれば、医者も看護師も「では自己責任で」と笑顔ですべてを引き下げる。一見それは個人の意思を尊重しているように見えて、その実、面倒な責任や人間同士の深い関わり合いを避けるための、あまりにも無責任な放任にすぎない。やらなければ命に関わるとわかっていても、システムは冷徹な「選択の自由」という免罪符の後ろに隠れてしまう。
けれど、昔の現場にはもっと生々しい摩擦と、それ以上の確かな温もりがあった。
ぶつかり合い、怒鳴り合い、それでも最後にはしっかりと手を繋ぎ、寄り添おうとする不器用な熱量がそこにはあった。だからこそ、どれほど不完全であっても、人と人との間には確かな信頼関係が結ばれていたのだ。
もしも今の時代に、感染対策のマニュアルを真っ向から無視し、手袋もマスクもつけずに患者のベッドサイドに腰掛け、不安に震える手をしっかりと握りしめてくれるような看護師がいたらどうだろう。
世間の常識や冷徹なSNSの物差しで見れば、そんな病院はすぐに「感染対策の怠慢」として告発され、晒し者にされ、あるいはメディアの標的となって廃院に追い込まれるに違いない。コロナという得体の知れない恐怖が世界を覆ってから、日本中のあらゆる医療機関は「正しさ」という名の冷たい無菌室になり果てた。
だが、私は声を大にして言いたい。
そんな冷え切った正論だけの病院よりも、たとえルールから外れていようとも、生身の体温を分け合い、互いの存在を貪るように確かめ合うあの不器用で温かい場所こそを、私は守りたいのだと。
正しさに殺されそうになるこの世界で、私たちはただ、誰かの熱を感じていたいだけなのだから。
管理と効率、マニュアル通りの「正しさ」だけがすべてを支配する現代の医療現場。患者が「こんな治療はやりたくない」と拒絶すれば、医者も看護師も「では自己責任で」と笑顔ですべてを引き下げる。一見それは個人の意思を尊重しているように見えて、その実、面倒な責任や人間同士の深い関わり合いを避けるための、あまりにも無責任な放任にすぎない。やらなければ命に関わるとわかっていても、システムは冷徹な「選択の自由」という免罪符の後ろに隠れてしまう。
けれど、昔の現場にはもっと生々しい摩擦と、それ以上の確かな温もりがあった。
ぶつかり合い、怒鳴り合い、それでも最後にはしっかりと手を繋ぎ、寄り添おうとする不器用な熱量がそこにはあった。だからこそ、どれほど不完全であっても、人と人との間には確かな信頼関係が結ばれていたのだ。
もしも今の時代に、感染対策のマニュアルを真っ向から無視し、手袋もマスクもつけずに患者のベッドサイドに腰掛け、不安に震える手をしっかりと握りしめてくれるような看護師がいたらどうだろう。
世間の常識や冷徹なSNSの物差しで見れば、そんな病院はすぐに「感染対策の怠慢」として告発され、晒し者にされ、あるいはメディアの標的となって廃院に追い込まれるに違いない。コロナという得体の知れない恐怖が世界を覆ってから、日本中のあらゆる医療機関は「正しさ」という名の冷たい無菌室になり果てた。
だが、私は声を大にして言いたい。
そんな冷え切った正論だけの病院よりも、たとえルールから外れていようとも、生身の体温を分け合い、互いの存在を貪るように確かめ合うあの不器用で温かい場所こそを、私は守りたいのだと。
正しさに殺されそうになるこの世界で、私たちはただ、誰かの熱を感じていたいだけなのだから。