パンデミック.新形コロナウイルス
テレビの画面の向こう、とある番組の楽屋から、アグネスちゃんが穏やかな笑みを浮かべて語りかけていた。
彼女は最近、人間の愛をテーマにした小説を書き上げたという。しかし、テレビの短い放送時間内では、伝えたい想いのすべてを語り尽くすことなどできなかった。だから彼女は、番組に収まりきらなかった真実を、あふれる想いのままにこうまとめて語り始めたのだった。
「私が70歳を迎えて、これだけ便利になった今でも変わらず元気に生きられているのは、ただ医療や技術が発達したからじゃないの。私の周りに、いつも親切にしてくれる温かい人間がいてくれたからなんです」
彼女の言葉は、確かな重みを持って胸に響いた。
若い頃、ステージの真ん中で歌を歌い、喝采を浴びていた時代はもちろん楽しかった。けれど、アグネスちゃんは言う。過去の栄光や楽しさにすがるのではなく、「今、この瞬間が本当に楽しい」と心から思えるのだと。歳を重ねても、体が思うように動かなくなっても、なお「今がいちばん幸せだ」と言い切れる強さ。
それを聞いたとき、僕はふと、今の私たちの生き方と重ね合わせてハッとした。
今の僕たちはどうだろう。
「あの頃は楽しかった」「若い頃は輝いていた」と過去の思い出ばかりを美化し、現在を生きる自分たちはどこか満たされず、ただ冷え切った日常をやり過ごしている。過去にしがみつき、今は楽しくないと感じてしまう。
なぜ、そんなふうになってしまったのだろう。
その答えは、まさに私たちが「人間愛」を見失ってしまったからではないか。
効率や正しさ、利害関係ばかりが優先され、他者と深く関わることを恐れ、誰かの手を握る温もりを忘れてしまった現代社会。無菌室のように綺麗に整理されたその世界で、私たちは物質的な便利さと引き換えに、最も大切な「生の実感」を失いかけている。
アグネスちゃんが語った「今が楽しい」という言葉の裏側には、血の通った人間同士の温もりと、互いを慈しみ合う確かな愛があった。
あの温かな病室で、明りやニコル、南ちゃんたちと分かち合った不器用な熱量こそが、人間が本当に生きるために必要なすべてだったのだ。過去を懐かしむ必要なんてない。たとえどんな世界であっても、今、目の前にいる誰かと心を通わせ、その温もりを抱きしめることができれば――私たちは、いつの時代だって「今が一番楽しい」と言えるはずだから。
彼女は最近、人間の愛をテーマにした小説を書き上げたという。しかし、テレビの短い放送時間内では、伝えたい想いのすべてを語り尽くすことなどできなかった。だから彼女は、番組に収まりきらなかった真実を、あふれる想いのままにこうまとめて語り始めたのだった。
「私が70歳を迎えて、これだけ便利になった今でも変わらず元気に生きられているのは、ただ医療や技術が発達したからじゃないの。私の周りに、いつも親切にしてくれる温かい人間がいてくれたからなんです」
彼女の言葉は、確かな重みを持って胸に響いた。
若い頃、ステージの真ん中で歌を歌い、喝采を浴びていた時代はもちろん楽しかった。けれど、アグネスちゃんは言う。過去の栄光や楽しさにすがるのではなく、「今、この瞬間が本当に楽しい」と心から思えるのだと。歳を重ねても、体が思うように動かなくなっても、なお「今がいちばん幸せだ」と言い切れる強さ。
それを聞いたとき、僕はふと、今の私たちの生き方と重ね合わせてハッとした。
今の僕たちはどうだろう。
「あの頃は楽しかった」「若い頃は輝いていた」と過去の思い出ばかりを美化し、現在を生きる自分たちはどこか満たされず、ただ冷え切った日常をやり過ごしている。過去にしがみつき、今は楽しくないと感じてしまう。
なぜ、そんなふうになってしまったのだろう。
その答えは、まさに私たちが「人間愛」を見失ってしまったからではないか。
効率や正しさ、利害関係ばかりが優先され、他者と深く関わることを恐れ、誰かの手を握る温もりを忘れてしまった現代社会。無菌室のように綺麗に整理されたその世界で、私たちは物質的な便利さと引き換えに、最も大切な「生の実感」を失いかけている。
アグネスちゃんが語った「今が楽しい」という言葉の裏側には、血の通った人間同士の温もりと、互いを慈しみ合う確かな愛があった。
あの温かな病室で、明りやニコル、南ちゃんたちと分かち合った不器用な熱量こそが、人間が本当に生きるために必要なすべてだったのだ。過去を懐かしむ必要なんてない。たとえどんな世界であっても、今、目の前にいる誰かと心を通わせ、その温もりを抱きしめることができれば――私たちは、いつの時代だって「今が一番楽しい」と言えるはずだから。