もう誰かを愛せはしない
おじいちゃんの垂れた瞼から覗く瞳は何処か遠くを見つめている。



懐かしんでいるような
悲しそうな


消えてしまいそうな…



そんな輝きを放っている。





おじいちゃんは湯のみをコトっと床に置くと、春の空を見上げた。



「…ジジィの昔話にちと付き合ってくれるかな?」

「もちろん。話して下さい」



おじいちゃんはニッコリ微笑むと、話し始めた。




「ワシはな、まだメイサさんくらいの歳の頃、心から愛した女性がいた。

その人は桜子さんと言って病を患っていて、舞い散る桜のように儚い雰囲気を漂わせている女性でな

長い綺麗な黒髪に黒目の大きな瞳。細い手足のべっぴんさんだった。


容姿もだが、命あるものを慈しむ優しさにワシは惹かれたんだよ」




桜子さん?
おばあ様のことかな?


そんな事を思っている私をよそにおじいちゃんは話を続ける。




「ワシと桜子さんはお互いに惹かれ合って結婚も考えていた。

だが、ワシらの時代は自分で結婚相手を選べんかったんだよ。

でもワシと桜子さんは愛を貫こうとした」



「貫けたんですか?」


「いや…無理だった。力も金もないワシには彼女を守る術がなく、桜子さんは桜が散り終わる季節に逝ってしまったのだよ」




揺れているおじいちゃんの瞳を見つめると

会ったことのない桜子さんが目に浮かんでくる。




床に伏せている日本人形みたいな美しい人。



窓の外から覗く桜の木を見つめながら、花びらのように散った命。



綺麗な桜吹雪を涙で滲ませて眺めているおじいちゃんの姿も…。
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