シンデレラの網膜記憶~魔法都市香港にようこそ
 エラは初めて足を踏み入れた環境に茫然としているものの、その身にはタイセイのセンスで選んだドレス(ノースリーブのワンピース)とおしゃれなサンダルをまとっていた。
もともとフィリピーナは足が細い。多少肌の色がブラウンでも、痩身で上背のあるエラには、パリのプレタポルテが良く似合った。

 ティーセットやスイーツがテーブルに運ばれてくると、ようやく我に返ったエラはティーポットを優雅に扱って、タイセイにお茶をサーブした。


 メイドとして働くエラには、テーブルワークはお手の物だ。しかし、今の彼女の指先からは、普段の仕事を超えた、言うに言われぬ女性の美と気品が感じられた。それは、いくらパリのプレタポルテに身を包んだからと言って得られるものではないだろうに。
 タイセイはそんなものを感じるのは、老舗ホテルの歴史が作り出した魔界さながらの環境で、たっぷり妖気に浸かってしまった影響だろうと勝手に解釈していた。
 ここは、1928年12月11日の開業以来、90年の永い間、数々の人生の喜怒哀楽の舞台となった、ザ・ペニンシュラ香港のロビーなのだから…。

「ティーカップに紅茶を入れることが、そんなに珍しいのですか?」

 自分を見つめるタイセイの視線に、照れたエラが言った。

「あっ、いや…エラがさ…妙にこのホテルに馴染んでいるなって思って…」
「そんなことありませんよ」
「いや、そうして背筋を伸ばしてサーブしている姿なんて、まんまこのホテルを長年贔屓にしている宿泊客だよ」
「冗談でしょ」

 エラは照れくさそうに、額に落ちてきた髪を、その細い指で耳の裏にすき上げる。

「タイセイが私に魔法をかけてくれなければ、こんなホテルには入れませんよ。実は…今日初めてこのホテルの門をくぐったのです。さっきから、心は落ち着かなくてドキドキです」
「そうか…なら、記念なんだから、ヘアやメイクにも手を加えたらよかったかもしれないね」

 エラはサーブの手を止めて、真顔でタイセイに訴える。

「私にこれ以上の魔法はかけないでください。魔法に頼って美しくなった王女は、魔法が解けた時には決まってお婆さんになってしまうって…だいたいおとぎ話しはそういう結末でしょ…私、ホテルを出る時が怖いです」

 胸に手をあてて祈り始めたエラの純真さに、タイセイも自然と顔がほころぶ。

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