痛み無しには息ていけない
「どうなんでしょうかね。そもそも今日び、地方出身とかよほどの名家でもない限り、お見合いそのものが非現実的な気もしますけどね」


確かに。今は絶対に結婚しなきゃいけない時代でもないと思うし。
そして渡辺さんは地方出身じゃない。バリバリの東京23区内の出身だった筈だ。
親御さんも、確か普通のサラリーマンだと話していた気がする。


「……って言うか、そもそもわざわざこの自粛期間に、お見合なんか組まなくても……」


涙が一滴零れ、右手の小指側の痣が痛む。
この疫病が蔓延る東京でお見合いを敢行するとか、よっぽど生き急いでるのか、むしろ死に急いでるか。
それじゃ早くお孫さんの顔が見たくても、その日が来る事は叶わないっすよ。
違和感しかない。

――と言うか、そこまで"想い"に固執する理由は何?
"好き"なんて、相手を不幸に追いやる事もあるのに。
想うのも想われるのも、気持ち悪い。
特に結婚なんて、束縛の極みでしかないのに。
…守れなかった、目の前で消えていってしまった花奏の笑顔を思い出す。
その笑顔を、黒いドロッとした何かが、覆い隠していった。

この疫病の影響で入籍する人が増えてるって聞いた気がするけど、想いも紙面上の繋がりも、そんなに大事なんだろうか?
保険金でも受け取りたいの?


そもそも、もし今日したお見合いが成立したとしても、入籍はおろか、婚約の日を迎えられるかなんて、分かんないのに。
これだけ疫病が流行ってるんだから、いつ感染して死ぬかは分かんないし、そもそも無事に明日が来るなんて約束は何処にも無いんだから。

目の前で消えていってしまった花奏の笑顔を、再び思い出す。
彼女は測らずとも、望んで、その為に全力で努力していた"明日"を迎えられなかった。
右腕に裂傷の痕や、両腕や顔に残る無数の小さな引っ掻き傷が痛んだ。
黒いドロッとした何かが、自分の気道を塞いでいく感じがした。
目の前が暗くなる。「気持ち悪い」と呟いた。
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