痛み無しには息ていけない
そう言って、吉田さんはこっちを見て、ふっと微笑む。
その笑顔にちょっとだけドキッとして、けれどすぐに、自分でその想いを否定した。

何で急に、吉田さんがこんな話を始めたのかは分からない。
けどよく見たら、吉田さんが持っている缶チューハイがさっきの物と違っていて、2本目を呑み始めていた事に気付く。
…多少、酔いが回ったのか。

――そういえばパートとして入社してすぐの頃に、渡辺さんと吉田さんと自分で、居酒屋で一緒に呑んだ事があったな。
あの時は年末年始の休業の直前で、今日みたいに仕事増えて、吉田さんと渡辺さんが終電逃して…。
「俺達これから呑みに行きますけど、一緒に行きますか?」って誘ってくれて。
あの時は結局、代金を割り勘で払おうとしたら、「結構です。歓迎会って事で」とお金を受け取ってくれず、結局全額奢ってくれたんだっけ。
……そうか。アレ、そんなに嬉しかったんだ。だから奢ってくれたのか……。


「小川さん、もう1本どうですか?」

「いや、良いっす。帰りはチャリ乗ってくんで、飲酒運転バレないようにしないと」

「あはは、そうですね」


吉田さんの有り難い提案を、丁重にお断りする。
美味い酒は何杯呑んでも良い!
けどチャリでも飲酒運転は捕まるし、事故を起こした時の保険が効かないのだ。
ましてや夜間で暗いから、人影とかが判別しにくいし。


「…で、お代幾らっすか?」


吉田さんの家が近付いてきたので、先に聞いておく。
そう何度も何度も、奢って頂く訳にはいかないのだ。


「あ、結構です。むしろ、送ってくれて、ありがとうございます」


そう言って吉田さんは微笑んだ。

そうか。あの時奢ってくれたのは、そういう事だったのか…。
あの時は入社したばっかの頃で、想定外の仕事に追われ、初の残業で、変に緊張したんだっけ。

――その優しさを忘れる事なんて、絶対に無いんだ。
でも想う事が、どうしても気持ち悪いんだ。いっちょ前に切なくなってんじゃねーよ。
吉田さんと別れた後、涙が一筋零れた。
< 37 / 56 >

この作品をシェア

pagetop