侯爵家婚約物語 ~祖国で出会った婚約者と不器用な恋をはじめます~
 その日の夜も更けたころ、書斎で書類を読んでいると扉を叩く音が聞こえた。
 了承の返事を待つ間もなく入口が開かれた。
 ライルは顔を上げた。この時間にこの部屋を訪れるのは父くらいなものである。
 彼はグラスを片手に持っていた。中に入っているのは琥珀色の液体。

「なんですか、父上」

 ライルは事務的な声を出す。
「いや、少しおまえと話そうと思ってな。今日はコーディア嬢の案内役だったんだろう」
「母上ですね」
 ライルの指摘にサイラスは少しだけ肩をすくめた。

「私こそ父上にお聞きしたかったんです。父上はこの縁談に賛成なんですか?」
 ライルは単刀直入に切り出した。
「おや、おまえはコーディア嬢では不服なのかな?」
 サイラスは面白そうに肩を揺らした。完全に息子をからかう気である。なんとなく、面白くない。

「わざわざ外国育ちの令嬢を探し出すより、この国にだってふさわしい令嬢くらいいるでしょう」
 コーディアは生まれも育ちも遠い南国ジュナーガル帝国だ。
 租界での生活はインデルクのそれとはまるで違っていたに違いない。現にこの数日少し会話をしただけで二人の価値観がまるで違うことを痛感した。

「コーディア嬢の父上は前マックギニス侯爵の次男だ。母上はランサム子爵家の令嬢だ。血筋的には何の問題もないだろう。それに、おまえの妻になる女性に求めるのはエリーと気の合うこと。これが重要だ。そういう意味ではコールデッド家の令嬢は少しまじめすぎた」

 確かに両家とも古い家柄である。
 現在のインデルクでは、古い歴史を持った貴族の家系が少ない。それというのも八十年ほど前の王が自身と対立をする貴族一派から爵位をはく奪したからだ。政治的対立をした貴族らから容赦なくその権利を奪い取り、領地を没収した。容赦のない国王だったが民衆からの支持が大きかった。

 コールデット家の娘というのは一時期ライルの婚約者候補として名前の挙がっていた令嬢だった。名をアメリカ。彼女の実家もこのときの爵位はく奪を免れた家系であり性格はまじめで品行方正。絵にかいたような貴族令嬢。彼女との話は周りが勝手に騒いでいただけだが、結局アメリカはライルの友人と婚約をし、この春に結婚した。

「そもそも何が幼馴染の娘を俺にあてがうですか。いい迷惑です」
 ライルは突然突きつけられた縁談の鬱憤もあってか一人称が学生時代のそれに戻ってしまったことにも気が付かない。

「おやライル。おまえはコーディア嬢が気に入らないのか?」
「……」

 父の言葉にライルは言葉に詰まらせる。
 ライルはコーディアを思い浮かべる。

 ライルよりも小柄で、まっすぐな金の髪と深い青色の瞳が印象的な娘である。
 南の国育ちだというのに焼けていない白い肌は陶磁器のようにすべらかで少し大きめの瞳が彼女の顔立ちをやや幼く見せている。

 ケイヴォンで流行っているドレスを身につけたコーディアはライルの知っている貴族の令嬢にも引けをとらない可愛らしい娘である。それは認める。
 大人しい気質の彼女はライルと目が合うとすぐに恐縮そうに下を向いてしまう。

 心の中ではそれがつまらなかった。もっとライルの方を向いてほしいし、笑った顔も見てみたかった。なんとか会話を試みるも、自分を怯え交じりの眼差しで見上げるコーディアを前にすると世間話の一つも浮かんでこない。しかも実際口から出るのは彼女を咎めるようなものばかり。それがますます彼女を頑なにさせている。

 黙り込んだ息子を前にサイラスは鷹揚に頷いた。
「なんだかんだ言って、おまえはコーディア嬢のことが気になっているんだろう。初対面の時に見惚れていたからな」
「誰がですか」
「エリーがそう言っていたぞ」

 父の突っ込みに間髪入れずツッコミを入れたライルだったが、サイラスの二段突っ込みに言葉を詰まらせた。

 なんだかんだ言って彼女の深い青色の瞳に見入ってしまったのは事実なのだ。

 深い青色の瞳は、卒業旅行で訪れた南方の海を思わせ、ライルは初対面の時不躾になるくらい彼女を見つめたままだった。
「大体、婚約者を同じ屋敷に住まわせるのも問題です。マックギニス侯爵の姪なら、そちらで預かってもらった方がよいのでは?」
 ライルは話を変えることにした。
 この屋敷でライルと暮らしていてもコーディアは気が休まらないのではないか。

「いや、ヘンリー氏と侯爵は昔から確執があってな。まあ、兄弟同士性格が合わないらしい。気の合わない兄の屋敷に大事な娘を預けるのも憚られるだろう。ま、ここは私たち夫婦の屋敷だからな。問題はないだろうさ」

 ライルは現在のマックギニス侯爵の顔を思い浮かべる。初老に差し掛かった中肉中背の男性である。
 何度か夜会で見かけ挨拶を交わしたことはあるものの親しいというわけではない。

 結婚が自分に課せられた義務なのは分かっている。ライルにはスペアがいないのだ。今ライルに何かあれば相続権を巡って親族が揉めることは必至である。
 それにしても結婚相手がまさか外国育ちの、それも貴族の娘という意識のかけらもない娘だとは思ってもみなかった。
 彼女はあらゆることに慣れていない。

「大体、まったくエスコート慣れしていなんですよ、彼女。どうしろって言うんです」
 ライルは市内散策での出来事を思い出す。今まで、どんな令嬢ともそれなりにうまく会話をしてくれたし、彼女たちも男の扱い方というものをしっかりと分かっていた。エスコートはする方もされる方にも型があるのだ。

 彼女はそれをまったくわかっていなかった。
 自分では女性の扱い方をわかっているつもりでいたけれど、コーディアに限ってはまるで通用しない。
 口から出てくるのは教師のような言葉ばかりだった。

「ははあ。それでそんなに不貞腐れているのか。おまえもまだ青いね。初心な令嬢を完璧にエスコートして見せてこその紳士というものだよ」

 サイラスはくっくと肩を揺らした。最後の最後で愚痴を吐いてしまったライルは今度こそ父を追い出しにかかった。
 サイラスは愉快そうに肩を震わせて部屋から出て行った。
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