傷ついた羽根でも空へ
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父親が出て行ったのは、私がまだ4歳の頃だった。 父親に関して覚えていることは、2つ。
1つは、まだ幸せだったであろう頃の記憶だ。父親は設計士だった。自宅からほど近い所に、若草色の少し古びた小さな3階建てのビルがあった。その2階に、父親は小さな設計事務所を構えていた。私はそこへ遊びに行っていたんだろう。薄いスチール性のドアを開けると、16畳程のスペースにお茶を入れるための小さなキッチン、事務用のデスクが3つ、そして設計図を描くための、30°程傾斜がついたデスクが1つあった。私は出入り口から一番近いデスクに座った。デスクの上には白い紙と、何十色もの色鉛筆があった。私はそれを見て、物凄くワクワクした。絵を描くことが大好きな子供だったからだ。そんな私の隣で、男の人が設計図を描き始めた。多分その男の人は父親だったのだろう。その男の人の隣で、私は何かの絵を夢中になって描いた。真っ白な紙に、今まで見たこともなかった色とりどりの色鉛筆を使って。とても満ち足りた気持ちだったのを覚えている。
もう1つは、今までずっと私の脳裏に焼き付いていて離れない記憶だ…。ある日、私は幼稚園から一冊の絵本を借りてきた。その絵本の中に、どうしても父親に見せたい絵があったのだ。内容こそ忘れてしまったが、その絵だけは、20年近く経った現在でも鮮明に覚えている。
確か、日本の昔話が何話か書かれていたような気がする。その内の1話が、お化けの話だった。その話が4歳の私にはとても恐ろしく感じられ、そこに描かれていた挿絵がまた、その恐怖感を増強させるものだった。
開いたページいっぱいに気味の悪いお婆さんが描かれていた。顔は皺くちゃで、紫色の皮膚をして、長い白髪を振り乱している。薄紫の着物を着ているが、足はない。眼を見開いて絵本の中から、こっちをじぃっと見ていた。
私はこの絵で、父親を驚かそうと企んだ。幼い子供がよくやる“イタズラ”を思い付いたのだ。
絵本を借りて帰った私は、さっそく作戦を練った。作戦といっても4歳の子供が考えることだ、父親が帰宅する時間に例のページを開いて玄関で待っているという、何とも単純で、お粗末なものだった。
夕食を終えた後、私は作戦を決行した。絵本を抱え込んで玄関に座り込み、例のページを開いた。髪を振り乱した老婆は、相変わらず恐ろしい形相で私を見ていた。
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