コミュ障
すると、私を待っていたかのようにそこにはなぜか楽しそうに笑う阿部がいた。




「あ、サボりだったら俺も誘ってくれればいいのに!」




けれど、今口を開いて仕舞えば彼に八つ当たりをしてしまう。




もっとも口を開くような余裕すらないのだが。




「・・・」




そんな彼を無視しながら荷物をまとめる私の腕を彼が思い切り握りしめた。




「真中」




「・・・何。離して」




「え、やだよ」




きょとんと当然の事を言うように彼は私の腕を引っ張って歩き始めた。




「な・・・っ!・・・何っ!」




「・・・」




非難じみた声を上げるけれど、人が殆ど居なくなった会社では誰の耳にも届かず、私は彼に引きずられるように屋上まで連行されていた。




彼は落下防止の柵に背中を預けながら腕をさする私を真っ直ぐに見つめてくる。




「何があった?」




その言葉も当然のことのように。




「何かあった?」ではなく、「何があった?」。




彼の真剣な眼差しが今はただ憎い。




「急に何・・・」




「死にそうな顔してる」




「・・・な、何もないけど」




「何もない訳ないだろ。何年も一緒に仕事してきてるんだから、鈍感な俺でもそのくらいは分かるぞ」




「・・・」




死にそうな顔なんてしていない。とも言い切れないほど私は疲れていた。




だから、逃げ出す気力も向き合う気力もなくて、ただ私は立ち尽くしていた。




「・・・」




「・・・」




二人ともに黙りこくりながら、昼間よりは幾ばくか涼しい風を浴びる。




夕暮れになった空は少しずつ落ちていくように暗くなり始めていた。




「もう月が見えるな」




急に脈絡のない事を言われ、私は彼の言葉に無理やり顔を上げさせられた。




彼がぼんやりと視線を向けている先、夕方と夜の境界線に満月が浮かんでいる。




「I love youを月が綺麗ですねって訳したのって誰だっけ」




また突拍子もない事を言い始めている阿部の横顔を見つめ続けていると、彼は自分で問題解決したかのように手を叩いた。




「福沢諭吉?じゃない、夏目漱石か!」




それは私も昔偶々調べたことがあったが、信憑性が低い事らしい。




逸話というか、都市伝説的な意味で言われているだけのようだが。




そんな事は知らないのか、阿部は満足そうに頷いていた。




「言葉って面白いよなぁ」




「・・・」




「この間さ、映画見てきたんだよ。ハリウッドのあの話題のやつ」




「・・・」




「俺、絶対字幕派なんだよね。吹き替えだとなんか違和感があって見てられなくてさ」




なんの返事もしない私に構わず、彼は好き勝手に話している。




「でもさ、時折字幕でもデメリットがあんの。明らかに女優さんが「lets go」って言ってんのに字幕では「悪くないわね」なの。まぁストーリーは変わらないけどさ、なんか違和感ない?」




「・・・そうね」




何を言いたいのか分からずただただ適当に相槌をしただけなのに、彼の舌はさらに回っていく。




「でさ、主人公が恋人をテロリストから助けて、ボロボロになりながら見つめ合うシーンでさ、恋人が涙ながらに「thank you」って言うんだけど・・・そこなんて字幕出たと思う?」




「・・・さぁ」




「・・・「ごめんなさい」だよ。thank youってありがとうじゃないのかな?確かに自分を助けてくれて、それが原因でボロボロになったのは申し訳ないって気持ちは分かるんだけどさ、そこはありがとうの方が良くないか?」




そこでふとカフェで聞いてしまった自分への陰口を思い出してしまう。




そこで少し落ち込んだのを気にもせず、阿部は私を見ずに口を動かした。




「面白いよなー、言葉って。月はmoonじゃん。moonは月でしょ?なのにありがとうはthank youで、thank youはありがとうでもごめんなさいでもあるんだよ?これって日本だからなのかなぁ。気遣いの文化とか恥の文化とか言うけど、言葉は文化も考慮して作られていくんだよね」




そこまで言って、彼は私をチラッと見つめた。




「言葉ってさ、意味とモノを表すだけじゃなくて感情とか心を表すのかなぁ」




「・・・そのストーリーは知らないけれど、いろいろあっての「ごめんなさい」じゃないの?誤訳じゃない」




「誤訳とは思ってないよ。面白いなぁってだけ。…うんうん、俺もそう思う。助けに来てくれた感謝よりも大切な人が自分のために傷ついたのが苦しくて「ごめんなさい」なのかもね。でもさ、俺だったら好きな人を助けに行ってごめんなさいって言われたら、少しだけ寂しさを覚えるかも」




「・・・?」




「あ、真中ってさめっちゃ人気なの自覚してる?」




急に話が変わり全く理解できず、私は戸惑ってしまった。




数分かけて言われた言葉の意味を理解するけれど、納得はできなかった。




「それは皮肉?私が人見知りなの知ってるでしょ。口も上手くない。優秀な阿部とは違うんだよ」




「・・・」




私と阿部の立場が変わったように、私の言葉を阿部が黙って聞いていた。




「人と目を合わせるのも苦手。会議とかみんなに注目されるのも苦手。コミュニケーションがうまく取れないこんな私が人気なわけないでしょ」




「・・・」




「阿部みたいに失敗した事なくて完璧な人と真逆にいるの。良く知らない人にも陰口を言われるような人間が人気なわけ?…笑わせないで」




いつの間にか私は涙を流していた。




目の前の完璧な人間に馬鹿にされたからではない。




それを言われてしまうような人間だと自分でも分かってしまっているからだ。




「気遣われるほど何もできなくて、謝るしかできない。私はその程度なの」




「猫ってさ、可愛いじゃん」




「はぁ?」




訳が分からない返しに、私は苛つきを隠そうともせず聞き返した。




「実家の猫がさ、俺の事なんて目もくれないわけ。みんなに可愛いって近寄られると爪立てて逃げてくの。ご飯だよーって言っても聞かないし、その癖勝手に餌の袋開けて散らかすんだよ。でも誤りもせず「何か?」って顔でいるんだよ。でもめっちゃ可愛いの」




その猫を思い浮かべているのか彼はだらしなく笑っていた。




「今真中が言ったのは確かに自分の短所かもね?人から気に食わないとか、嫌われる理由でもあるかもしれない。けれど、人から好かれるって事を否定する理由にはならないよ」




阿部は楽しそうに笑いながらも、いつの間にかすっかり暗くなっていた夜の風に軽く身震いした。




「俺は入社して一番最初に真中のシナリオ読んだ時思ったよ。こいつ凄いな、こいつと仲良くなりたいなって」




「・・・」




「真中は口数少ないけど、時折言う事はしっかりと真中の考えがあって、シナリオ書くってことに対して一切妥協しない真剣な姿も好きだよ。そして何より真中の描く世界が好き。そんな魅力的な話を直向きに書く人間に惹かれる人間が居ても不思議じゃなくないか?」




そこで彼は一呼吸おいて軽く顔を上向けた。




「ほら、野々宮とかプログラマーの岸とかさ、あいつら真中のこと大好きで、一緒に企画できるの本当に喜んでたんだぞ?気遣ってるのもあるかもしれないけど、それは別に頼りない奴だからとかじゃなくて、単純に仲良くなりたかっただけじゃない?」




「・・・嘘」




「嘘なもんかよ。むしろ野々宮とかはいっつも真中と話した日に「嫌われたかもしれない。でも仲良くなりたいな」ってずっと言ってるぞ?」




知らなかった。野々宮さんも阿部がシナリオの方が良いと思っていると思っていた。




正直私のところに来るのも、阿部と関りを持つためとか、直接文句が言いたいとかそんな理由だと思っていた。




「アイツらも俺も真中の描く世界が好きだから、単純に完成されたのを見たいんだよ。これってファンなんじゃない?人気ってことなんじゃないの?」




「・・・っ」




私の瞳からはポロポロと涙が溢れていた。




でも、それはさっきの涙とは全く違うものだ。




自分の感情はぐちゃぐちゃで良く分からなかったけれど、それだけははっきりと分かっていた。




「だから、真中が謝るのが嫌なんだよ・・・俺たちの大好きな真中を、他でもない真中が下に見てる感じがしてさ。私なんかのために、とかそんな考えが言葉と表情に出過ぎなの」




それだけは嫌いかな、と笑いながら阿部は私の肩を叩いた。




「後さ、自分を卑下したいためか知らないけど、俺が完璧な訳ないだろ。俺らが一年目の時、お得意様だった会社とパイプが無くなった事あっただろ?」




そう言われて私は涙を拭いながら軽く頷いた。




急な話であったし、部長たちがかなりピリついていたのを良く覚えている。




「あれさー、俺が原因だからね?」




「・・・えっ」




「自分が優秀だって信じてたから周りを全く頼らないで顧みないでやってさ、最終的にお得意様のライバル会社をめっちゃ褒めるようなの書いちゃって。謝りに行ったんだけど、許してくれなくてさ」




その話を聞くだけでクビになるかもしれないと思う程に重大な話であるのに、阿部は思い出を話すかのように気軽だった。




「部長から、周りの誰も気がつかなかったのか、そいつらと謝りに行けって言われたんだけどさ。当時俺が無理矢理他の部署にも通話してゴリ押ししてたから、誰もついて来なくて。寧ろ俺を悪いってする奴らばっかりだったよ。当然だけどな」




いやぁ、懐かしいなぁ、と口に出しながら阿部は寒そうにポケットの中に手を入れた。




「そこから俺は考え方変わったんだよ。人とコミュニケーション取って頼って。そういうことできる方が凄いってさ。だから真中が苦しいのもなんとなく分かるんだ。でも大丈夫」




寒さで赤くなった頬が、恥ずかしそうな表情にも見えるから不思議だ。




「こういう時のために俺はコミュニケーションを勉強したの。真中が苦手なら、全部俺がやるから。頼ってくれよ」




遂に彼はそれだけ早口で言うと私の横をすり抜けて小走りで屋上を後にした。




寒い寒い、と言い訳のように呟いているのが子供っぽくて、私は少しだけ笑ってしまう。




夜空に浮かぶ月が綺麗だと気がついた夜だった。
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