谷間の姫百合 〜Liljekonvalj〜
当初、男爵・グランホルム家とシェーンベリ商会との間に「婚姻」話が持ち上がったとき、嫡男・アンドレ氏とリリコンヴァーリェ嬢との縁組のはずであった。
シェーンベリとの「絆」をより強固なものにするためなら、アンドレ氏とウルラ=ブリッド令嬢が幼少の頃から結んでいた婚約など反故にしてしまっても構わないと、男爵・グランホルム閣下は思っていたからだ。
貴族階級では「当家の事情」により「相手が変わる」のはよくあることだ。
しかし、中産階級であるリリの父は「生木を裂くように二人を別れさせて娘を割り込ませても、おそらくだれも幸せにはなれないだろう」と考え、まだ婚約者のいなかった二男のビョルン氏を望んだ。
『いいえ……私は……本当になにも……
ただ、父の意向に沿っただけで……』
リリは恐縮しきりであった。
『それにね、今夜のこのドレスも帽子も扇子も、あなたのお父様が「貴族様のパーティに慣れない娘のためにお力添えを賜りたい」とおっしゃって、私に贈ってくだすったのよ。英国で今、とても流行っているデザインなんですってね?』
そう言って、ウルラ=ブリッド令嬢はうっとりと自分の石榴石色のバッスルスタイルのイブニングドレスを眺めた。
装飾品の宝石類だけは、男爵・ヘッグルンド家に代々受け継がれているものをつけていたが、あとはすべてシェーンベリによって用意された「最新の英国スタイル」だった。
『クリノリンの不要なドレスがこんなにも快適だなんて、思いもよらなくてよ』
ウルラ=ブリッド令嬢は快活に笑った。
『私ね、子どもの頃から乗馬が大好きなのよ。
普段はしょっちゅう乗馬服でいるものだから、堅苦しいドレスは苦手なのだけれども、こういうデザインなら、軽くて動きやすいからいいわね。
……あなたは、乗馬をなさって?』
『いいえ、わたしは……』
リリは首を左右に振った。
「貴族の御令嬢」には乗馬を嗜む人がいると家庭教師に言われて、何度か試してはみたのだが、馬上があまりにも高く感じられて怖くなってしまい、すぐに降りていた。
『あら、そうなの……でも、これからはおやりになった方がいいわ。ビョルンも子どもの頃から乗馬が大好きなのよ。あなたも始めたら、喜んで遠乗りに連れて行ってくれてよ?』
……グランホルム大尉が望まれるのなら、たとえ怖くても、また挑戦するしかなさそうね。
『アンドレだけではなくて、ビョルンも私にとっては幼なじみなの。だから、彼のことでなにか知りたいことがあったら、なんでも聞いてちょうだいな』