消えた卒業式とヒーローの叫び



「よし、き、た、で。まっ、かな、水、てっぽう……」


 ショッピングモールの隅で、隣から呪文が聞こえてくる。人々の声が軽快な音楽に紛れて雑音となる場所で、その言葉は明らかに異質だった。

 だが私はそれに対し口を挟むことはない。いや、挟むことなど許されないのだ。

「吉宗、享保の改革、田沼意次、天明の飢饉。松平定信、寛政の改革、水野忠邦、天保の改革……」

 付箋だらけのノートを広げ、歴史の語呂合わせをブツブツと繰り返すのは、数週間後に受験を控えた日彩だ。

 本来、こんな所に連れてくるなど以ての外。それでも私は、男子三人と映画を観ることに抵抗する事が出来ず、藁にもすがる思いで日彩に頼み込んだ。

 当然、親にも叱られた。嫌なら断るか、断れないのなら行くかのどちらかだと。全くその通りだ。私が一番納得していたと思う。

「お願い日彩……お昼にステーキでも奢るからぁ……」

 まさかこの一言に乗ってくるとは思いもよらなかったが、つまりはそういうことだ。

 目の色を変えた日彩は、獲物を狙う肉食動物のように、話題に食らいつく。結果、勉強道具を持って参戦してくれることになったのだ。

 まだ食べ物で釣られる歳で良かった。単に〝日彩だったから〟という理由なのかもしれないけれど。

 約束の時刻になるまであと数分。今日はいつもより一段と寒く、空からは天使の羽根の欠片が舞い降りていた。

 日彩が何度もくしゃみをしていたが、それも理解出来る。風邪を引かなければいいけれど。
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