魔女の紅茶
魔女様は微笑む
ものすごい衝撃が、左頬を襲った。
「っい!」
「目ぇ覚めたかよ」
かと思えば、鼓膜を揺らす低音。じんじんと熱を帯び始めた左頬は一旦どこかに置いて、状況を整理すべくきょろりと目玉を動かした。
反転していない視界。眼前にある凄いとしか言い様のない角度で吊り上げられている深紅の瞳。その左下ら辺でもさもさと揺れるもふもふした黒いそれに付いているきゅるんと愛らしい眼。そして視界の奥の木の枝に座る竜人とおぼしき風貌の男。角、翼、尾。どこをどう見ても竜人だ。うん、何があった?
考えたけれど分からない。十分過ぎるほど情報はあるのに何ひとつ繋がらない。ならばと考える事を放棄すれば、視界の中に新たな変化が訪れた。
「……魔女、さま、」
瞬きひとつの間に、竜人が座る枝の真下に現れた魔女様の視線は上を向いている。
「……魔女、」
「お知り合い、なのでしょうか」
「ンなもん俺が知るわきゃねぇだろ」
「ですよね」
話をしているのか、竜人の視線も魔女様に向けられ、竜人の唇が動いてる様が辛うじて見て取れたけれど残念ながら声は聞き取れない。一言、二言、ずっと唇を動かし続けている竜人とは違い、魔女様は注視していなければ気付けない程に小さく短い動きでもって、おそらくご自身の意思を伝え終えたのだろう。魔女様の視線は竜人から外され、こちらへと向く。
「カーティス」
ぱちり、生理現象とも言える瞬きをすれば、黒く艶やかな髪が視界の中でさらりと揺れる。魔女様にお仕えするようになってから幾度となく体験してきた現象だけれど、やはり慣れない。どうやらそれはゼイン様も同じなようで、視界の中の彼の横顔は名を呼ばれながら魔女様に頬を触れられた事に酷く驚いているようだった。
次いで僕の名を呼びながら視線だけを僕へと向けた魔女様は「無事で良かった」と相変わらずの無表情で音を吐き出した。いえあの僕は気絶してました。なんて言えるわけもなく、へらりと愛想笑いを浮かべれば、魔女様の視線はゼイン様の左下辺りへと移行する。
「いい子ね、クルル」
するり、もさもさと揺れるもふもふした黒いそれを魔女様が撫でれば「クルゥ」とそれは鳴いた。