黙って俺を好きになれ
紺色のネクタイを締め、シックな雰囲気の三つ揃い姿で隣を歩く幹さんは存在感があるせいか、どこかの御曹司・・・に見えなくもない。着慣れない赤色を着た私の腰を抱いてエスコートしてくれるのを、一日限りの夢だと思うことにした。分不相応でもアンバランスでも、そう思えば開き直れたから。

連れてきてくれたのは、賑わうシネコン付きの大きなショッピングモール。観たい映画を到着する前に訊ねられ、いつの間にか山脇さんがチケット予約を済ませてくれたようだった。

ここに向かう途中、和食処のレストランに寄ったときは車で待機していた彼だったけど、モール内では付かず離れずの距離で幹さんから離れなかった。部屋の玄関まで迎えにきても表情ひとつ変えず、昨日のことは自分の記憶違いだったかと思うほど。その眼に私は映ってさえいない気がした。


「まだ少し時間があるな。先にトイレを済ませておけ、イトコ」

土曜日で観客も多く、エントランス脇通路の奥にあるお手洗いも列になっている。少し時間がかかって戻ると幹さんは見つけやすい場所にいてくれた。

スマホを片手に、佇む立ち姿はどこか他人を寄せ付けない空気を放っていて。私に気付くとそれが和らいだ。

「・・・次は泊まりで温泉にでも行くか。露天風呂付きなら一緒に入れるぞ」

旅行の予約サイトでも検索してたのか高級旅館の一室らしい画像をこっちに傾け、愉しそうに見えた。


まるで普通の恋人同士だった。
だから。
やっぱり夢だと思った。
いつか醒めるのだ。・・・現実へと。
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