ヒミツの恋をはじめよう
 内示の面談を終えて数日が経ち、あっという間にデート当日を迎えた。
 仏頂面で現れた彼女に大きく手を振り、そんな表情は気にしないとアピールする。
 昼食を終えた後の車内で、“Cosmos”でのやり取りを思い出し、彼女へ問い掛ける。
「そういえば、あの日さつきさんに話し掛けた時、マスターから“ナンパ禁止”って言われたじゃないですか。あれって、前にも何かあったんですか?」
「……え?」
 ある程度こちらから出される質問を想定し、テンポよく会話していた二人きりの車内が静まり返る。
 沈黙は肯定と受け取れる。やはり過去に何かしらの出来事が起きたのだろうと理解し、それ以上の質問はせずに話を切り替える。
「あ、少し疑問に思っただけなので、無理に答えなくていいですよ!すみません、忘れてください」
 わざとらしいとも思われただろうが、言葉が詰まるほどの内容を聞くにはまだ時期尚早と思い、当たり障りのない会話を続けていると、彼女も安心したのか少しほっとした表情を見せた。
 水族館での彼女は俺が隣にいることも忘れ、目の前に広がる海の世界に没頭していた。きらきらと目を輝かせながら水槽を見つめる彼女に気づかれないよう、彼女の横顔を見つめ、隣に彼女がいるこの時間がずっと続けばいいと願ってしまった。
 デートをする前、彼女に芽生えた気持ちが“恋”なのか“好奇心”なのかを確かめたいと思っていたが、半日彼女と過ごし、やはりこれは“恋”なのだと実感する。
 仏頂面ですら可愛いと感じてしまっていたが、楽しそうに笑う彼女の表情を見て、誰にも渡したくないという気持ちが膨らんでいく。なにより、無理に誘った俺に対して無下な対応を取られても仕方ないと思っていたのに対し、彼女はそんな素振りを一切見せず、一緒に楽しんでくれていた。
 そんな彼女の姿を見て、心を奪われないはずがなかった。
 水族館から出ると、辺りはオレンジ色に染まっていた。できるならば、一緒に夕食を取りたかったが、彼女の表情から疲れが見えた為、これ以上無理に連れ出すのも憚られた。
 きっと彼女は“今日の一度きり”と決めてデートに臨んでいたのだろうと思い、改めて彼女へこの思いを伝える。
「今日デートして思ったんです。俺、やっぱりさつきさんのことが好きです」
 握っていた手の力をわずかに強めると、彼女は少し目線を彷徨わせた後、わずかに口を開いて呟いた。
「私、恋愛はしないって決めてるんです。それに気になる人もいるので、難波さんとお付き合いはできません」

 恋愛をする気はないが、気になる人はいる、と彼女は言った。
(木になる人がいても、恋愛をする気になれないのはやはり……)
 そんな人がいるのに俺とのデートを承諾したのかと思うと、上がっていた気持ちが沈んでいき、言わなくてもいいことまで口に出してしまった。
「……過去に何か嫌なことでもあったんですか?」
 しまった、と思ったものの、彼女は毅然とした態度で言葉を続ける。
「そうですね。そう思っていただいて結構です」
 あまりにも真っすぐな瞳に射貫かれ、そのまま動きが止まってしまった。手のひらから彼女の体温が離れたと同時にドアが開き「今日は楽しかったです。ありがとうございました」と言い残して、彼女は走り出した。
「さつきさん!」
 大声で彼女の名を叫ぶものの、彼女はこちらを振り向きもせず、人混みの中へと消えていった。
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