かりそめお見合い事情~身代わりのはずが、艶夜に心も体も奪われました~
「でも、それは結局、無駄な期待だった。兄や俺が産まれてからも、相変わらず父は仕事ばかりしている人間だったし。俺たちの前ではいつも気丈に振舞って優しい母親でいてくれたけど、夫に顧みられない母は子どもながらに、いつもどこか寂しそうに思えた」


なぜか彼がすべてを過去形で語っていることに、ずっと嫌な予感がしていた。

ドクドクと速いテンポで脈打つ心臓のあたりを、右手できゅっと掴む。そこで奥宮さんが、前を向いたまま薄く微笑んだ。


「そんな母も、俺が高校生のときに亡くなってしまったから、今となってはどんな気持ちであの家にいたのかはわからないんだけどね。……もともと病気がちで、身体の弱いひとではあったんだ。だから、俺も兄もそれなりに覚悟はしていたつもりだったんだけど……いざ母が逝ってしまったら、ずっと胸の中に溜め込んでいた父に対する不満や怒りがあふれてしまって。しばらくは顔を合わせるたびに言い争いになったし、家にいるのも嫌で、ふらふらと出歩いてばかりいたよ。まあ、いわゆる反抗期ってやつかな」


たぶんわざと、最後はおどけるような口調で締めくくった美しい横顔を、どうしようもなく切ない気持ちで見つめる。

──『高校生のとき』。そのセリフで、数時間前に訪れていたあの居心地のいいトラットリアのことを思い出す。

きっと……この頃だ。奥宮さんが、あのお店とマスターに出会ったのは。
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