もう二度ともう一度

「ヨコハマ」

 また長期の休みが来た。正月には戻る様にと、母親から釘を刺されていた早川は、日帰り温泉に浸かっていた。
 
 大村で賞金王決定戦を観戦し、その余韻が残るまま九州の地を歩いていた。宿はこれから探す、また気楽な一人旅だ。

「まあ、正月ぐらいはいいだろう、あの電話ってどこかありませんか?」

 風呂上がり受付で公衆電話の在り処を尋ねる。母親が帰る頃、どこにいるかだとか元気かどうか伝える。これが母と子の約束だった。そして受話器を取り自宅に繋がるや自分だと伝えた。

「早川か?今どこにいる?」

「た、高見か!?お前がなんで!」

 電話の向こう側の人物曰く、冬休みになってすぐ訪ねてみたら、母親を一人にして親不孝者は出ていったと聞いた。
 仕方なく、手伝いや話し相手を時々しているのだそうだ。

「じゃなくて、おふくろは何処だ!?」

「心配するなこの時代、まだ正月前には物が無くなる。お母様は買い物に出かけているだけだ。貴様こそどこにいる?ちょっと言っておかねばならない事があるようだからな・・」

 ヤツは来る!そう思った早川は、伊豆だと答えて受話器を投げ捨てた。もちろん、ここは別府だが。

「高見のヤロウッ!なにを勝手なマネしてやがる!!」

 ロビーの注目を無視して、早川は旅館を後にした。万が一の事があれば悔やんでも悔やみ切れない。
 自分が今世に執着しているほとんどは母親がいるからだ。


「まあ、・・待て。ムチャクチャなヤツだが、そこまで非道じゃないだろ。後で、二時間ぐらいしたら安否確認すればいい・・」

 今戻れば両方から長い説教が待っているのは明白だ。早川は慎重に対応する事にした。
 電話が繋がり「早川です」と言う母親の声を二時間後に確認し、宿でやっと枕に頭を付けた。


 まったく気分が削がれたが、明日には中山に発たねばならない。テイカイトウオーが勝利を収めた93年有馬記念の為だ。
 

 翌日、早くから博多まで向かい、新幹線に飛び乗る。中山競馬場のある千葉まで向かう為だ。
 残りの数日は、憧れだった横浜を歩きたい!そんな風に思って、早川は柄にもなくドキドキしていた。


 93年最後のレースを、有終の美で終わらせた彼は横浜は本牧にいた。この辺り、電車移動の早川には難儀だ。
 夜の港を眺めて、あの有名なレンガ倉庫を歩く。タバコを辞めてしまったと言うか、吸ってもいなかったが、それを懐かしく思えるような景色ばかりだ。 

 遅くなって、ちょっと怖いが黄金町を歩く。気軽に泊まれる宿は、こんな街にこそある。
 朝は中区山手に出ていって、洒落た店でコーヒーを飲んでいた。そして桜木町、中華街。
 江ノ島鉄道で鎌倉方面に向かう時にはもう、全てを捨て母親を連れて引っ越そうか。と考えていた。

 この一年、頑張って貯めた汚金は既にそれをしてもお釣りがくるだろう。とは言え、まだ表に出来ない金だ。
 早川の胸には表に出来ないモノしかなくて、少しもどかしさが残った今回の旅であった。
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